こんなにぶりっ子だったっけ? 「清楚なヒロスエ像」から今も脱却できない広末涼子 出演したYouTubeが大コケ

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世間とズレている「ヒロスエ」像 空っぽだからこそ発揮できる女優力?

 ヒロスエ=透明感と書いたものの、ヒロスエ世代ほどそうでないことを知っている。ヤンチャ系の男性との交際や奇行癖が報じられ、不透明感あるうわさもくすぶり続けていた。不倫が明らかになった時も、「前からこういう人だったよね」と冷静に見ている人も少なくなかったはずだ。ただ、面白いことにいまだに清楚なヒロスエ像を信じているのは、他ならぬ広末さん本人のようである。

 よほど事務所の縛りがキツかったのだろうが、コンサバで楚々としたナチュラル美女を、公私ともに必死で演じてきたと信じ込んでいるようだ。世間のイメージと本当の私は違う、女優さんとして求められるイメージを壊したい、と動画で訴えられる度、「いや、今さら何を壊すんだ?」と首をかしげてしまった。

 ズレた自己認識、「本当の自分」の表現にこだわる割に他人の目に委ねる主体性のなさ。でもその空っぽさが、事務所や監督らの求める「男性が理想とする透明感美女」を過不足なく演じられる女優力につながっていたのかもしれない。

 しかし独立した今、「ありのまま」にこだわるならば、そういう仕事は自分で取ってこないといけない。求められるイメージを壊したいと言いながらも、始終ふにゃふにゃと笑っている広末さんに、百戦錬磨のスタイリストとディレクターは厳しかった。「はにかんじゃだめ。派手な衣装の時は堂々としてないと」と檄を飛ばし、「ヒロスエブームの時は違和感があった、いっつもおんなじ顔してんなと思ってたから嫌いだった」とバッサリ。虚を突かれたような広末さんの表情に、ああやっぱりこの人は何も考えていなかったんだ、との思いを強くした。

 忙し過ぎて心身共にボロボロだったという人気絶頂時の状況も含め、広末さんに同情する部分はある。でも何を考えているか分からない魅力と、何も考えていないのとは全然違うということを、広末さんは分かっているだろうか。かつての事務所が世間に最も知られたくなかったのは、彼女の奔放な私生活や奇抜なファッションセンスでもなく、「空っぽで甘ったれ」な素顔だったのかもしれないとふと思った。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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