【「夕刊フジ」休刊で岐路に立つ夕刊紙】 平鍋幸治社長が明かす、「東スポ」が「餃子」「唐揚げ」事業に進出した“本当の理由”
「中華料理屋でも始めるつもりか」
そう語る平鍋氏は編集局長就任後2年余りの2021年、「東スポ餃子」を売り出し、大当たりを取った。その後、夕刊フジも負けじと(?)2022年に小籠包「夕刊フジ飯店・生姜小籠包」を発売している。ただし、食品事業に乗り出したのは、東スポより夕刊フジのほうが早く、2006年に駅弁、2014年にファミリーマートでおにぎりを販売した実績がある。平鍋氏が考案した「東スポ餃子」には、そうした過去の経緯も影響していたのだろうか。
「いや、まったくなかったです。あれは、ウチが希望退職者制度を始めたことを週刊文春さんに書かれたころでした。あの時期に中堅商社(戸田商事)の副社長さんと、神楽坂の中華料理店で食事する機会があって、そこで『餃子の製造メーカー(大和フーズ)をM&A(買収合併)したんだよ。東スポでも餃子を出しちゃえばいいじゃない』って言われて、えっ! と思ったんです。東スポ餃子か、面白いな! これイケるな! と。読者の方が東スポを見て、ビール飲みながら競馬の予想をしてる時、つまみは餃子だな、これ絶対イケるなと思って、副社長さんとその場で速攻握手しましてね。『本気でやりましょう!』って言って、『本気です。』をキャッチコピーにしたポスターも作って、7月の頭に話をしてから、3カ月後ぐらいにはもう出しちゃった。だからもう、ほとんどその場のノリでやったようなものです。野球で言えば、狙って打ったんじゃなくて、自然とバットが出たという感じ。赤字になったりマイナスになったりしたら責任を問われたでしょうけど、そういう絵がまったく浮かばなかったんですよ」
当時の上司、太刀川恒夫会長(現名誉会長)、酒井修社長(退職)には一言も断っていない。案の定、太刀川会長には後で「中華料理屋でも始めるつもりか」と言われた。
「会長にそう言われた時、僕は言いましたよ。『ウチの新聞で競馬の予想をする読者のためですよ、これが新聞の売り上げに結びつくんですよ、ビール片手に餃子ですよ、会長!』と言ったら、何とか理解して頂けたみたい(笑)。それと、ウチがちょっと(依願退職制度が始まって)苦しい時期でもあったんで、会社を元気づけたいという思いもありました」
金銭に換算できない波及効果
東スポ餃子大当たりの余勢を駆って、その後も東スポからあげ、東スポポテチ、東スポ驚愕レモンサワー(アルコール度数13%)など関連商品を続々と開発。ついには東スポ居酒屋まで開店し、ミス東スポを呼んでイベントを開催するに至っている。
「その中ではやっぱり、東スポ餃子の反応が一番よかったですね。東スポ棒餃子、東スポおつまみ餃子・島とうがらしも出したけど、イマイチだったな。ただ、からあげは取り扱いたいと言って頂けるところがまだあるんで、餃子と2つ、ずっと続けています」
東スポ餃子でブームを巻き起こしてから今年で丸3年。果たして、肝心の収支はどうなっているのか。
「食品事業3年間の売上高は2億4000~5000万円です。ほとんどが餃子ですけど、レモンサワーなども含めた全体でそのぐらいかな。ただ、ご存じのように飲食は薄利多売の世界なので、利益は2000万円前後。そこからイベントにかかった人件費、関係先との打ち合わせに必要な接待費だとか、いろいろ経費を差し引いたら、3年間の純利益は1000万円ぐらいですね。新聞社が食品事業をやるとなると、やっぱりこのへんが限界です。最初から体制を整えて始めれば違ったんでしょうけど、スタートの時点ではそういう話でもなかったですから(笑)」
しかし、金銭に換算できない波及効果もあった。営業や取材の現場で、たびたび東スポ餃子が話題に上るようになったのだ。
「新人採用の面接でも、なぜ東スポに入ろうと思ったのかと聞くと、餃子を出したりして面白そうだなあ、と答える学生さんがいました。単なる利益追求ではなくて、そういうブランディング効果のほうが大きかったかもしれません」
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