「青葉城恋唄」は10分で完成、断りたかった「仙八先生」に出演…さとう宗幸(75)が明かすデビュー45周年“秘話”

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 1978年の「こどもの日」に発売され、今もなお歌い継がれる名曲『青葉城恋唄』。作曲し、自身で歌唱したさとう宗幸(75)は昨年、レコードデビューから45周年を迎えた。名曲の誕生には、さまざまな偶然が重なり、どの一つが欠けても、この歌は広く知られていなかったかもしれない。

乳飲み子抱えた下積み時代からラジオDJへ

「生まれは岐阜県可児市ですが、2歳までしかおらず記憶はあまりない。やはりふるさとといえば、高校を出るまでいた古川市(現・大崎市)、そして杜の都・仙台ですね」

 自身の出自を改めて説明するさとう。22歳ごろから仙台の「歌声喫茶」で歌声リーダーの仕事をするようになっていた。

「お客さんと一緒に、日本のスタンダードや叙情歌を歌ったり。そんな中で自作曲も増えていき、どこかで独り立ちしたいとは考えていましたが、実際にはいわゆる下積みでお金もなく、生活的にもつらい時代。娘が生まれたばかりで乳飲み子を抱えた状況でしたから」

 やがて25歳を過ぎた頃からライブハウスでのコンサート活動を始める。その頻繁なライブが、地元のNHKのラジオディレクターの目に留まった。

「どう?番組のDJをやってみない?」

 77年4月から毎週土曜日午後の3時間番組『FMリクエストアワー』を、他のDJとともに担当した。28歳の時だった。

「番組を持たせてもらうなんてこの上ない喜びで。最初の1時間は僕が担当して一人でやっていたけど、ただ自分で歌うとか、レコードをかけるだけなら、よくあるパターン。始めてから1カ月ぐらいで『作詞作曲コーナー』をやってみよう、ということになったんです」

 リスナーが送ってくれる詞にさとうが曲をつける形でコーナーはスタートすることになった。

 とはいえ、番組の人気バロメーターの一つと言えるオンエア時の観覧席は、30席程度用意されていたが「いつも、番組ファンの中学生が4~5人ぐらい」という状況。おまけに時々実施される番組のレーティング(聴取率)調査では、「いつも米印(聴取率ゼロ)でした」と苦笑しながら明かすほど。番組に届くはがきも週に10通程度。果たして詞を送ってくれるリスナーはいるのかと疑心暗鬼になっていた。

 そんなさとうに、当時のディレクターがこう諭したという。

「宗さん、がっかりしちゃいけない。はがきが1通来れば、その後ろには200人のリスナーがいるんだからね」

 この言葉に「あ、じゃあ1千人以上はラジオを聴いてくれているんだ」と思ったというさとう。「今にして思えば、何の根拠もない数字だと思うんですが、ディレクターは僕を励ますために言ってくれたんでしょうね」と振り返る。

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