【名人戦】AI全盛の時代に…藤井聡太八冠がタイトル戦で初めて使った「古典的戦法」とは

国内 社会

  • ブックマーク

 将棋の名人戦七番勝負(主催・毎日新聞社、朝日新聞社)の第3局が5月8、9日の両日、羽田空港第一ターミナル(東京都大田区)の大会議室で開催され、先手の藤井聡太八冠(21)が挑戦者の豊島将之九段(34)を95手で破り、3連勝した。名人奪還を目指す豊島はカド番に追い込まれた。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

踏み込めない「魔物」の存在

 勝った藤井は「竜を作ったあたりは少しペースをつかめた感じはしたが、どういう構想で指すかなかなか定まらなかった。『8三金』と打って主張が通った形になった」と振り返った。

「定まらなかった」と言いながら見事な展開だった。「棒銀戦法」で2筋を攻め立てるように見せながらも、封じ手で打った「1六」の角を「3八」に引いて豊島の「8二」の飛車の上に狙いを定め、最終的に「8三金」から飛車を殺すなど視野の広い展開となった。

 破れた豊島は「『4一玉』からまずい順になってしまい収まらない形になった。『9四歩』を指したほうがよかったが、自信が持てなかった。早い段階で均衡が崩れてしまった」と話した。「4一玉」は1日目の34手目。1時間47分も長考した守りの手を悔いた。

 また、藤井の猛攻に耐えかねて、56手目に攻め駒として温存していた銀を「3二」に打った。これである程度、守りは固めたが、攻撃の幅はぐっと狭まった。「『3二銀』を打ってしまうと攻めが薄い。他の手だと潰れると思った」と話していたが、後悔している様子だった。

 棋士の敗戦の弁は「攻めるべき時に守ってしまった」というものが多く、逆は少ない印象だ。野球にたとえるなら、見逃し三振した打者が「凡打になってもバットを振るべきだった」と後悔するのにも似る。言うまでもなく、慎重になって守っていればいいというものではなく、攻めるべき時に守ってしまうと将棋では勝てない。そんなことは百も承知の歴戦の強豪棋士も、名人戦のような大舞台では思い切って踏み込めない何か魔物のようなものが潜むのだろう。

珍しい棒銀

 藤井の棒銀は珍しい。少なくともタイトル戦では見たことがない。かつては加藤一二三九段(84)、最近では木村一基九段(50)や飯塚祐紀八段(55)、渡辺明九段(40)らの得意戦法だ。伊藤匠七段(21)が藤井に挑戦して敗退した棋王戦でも見せたが、以前より見かける頻度が減ったように感じる。

 棒銀は先手なら2筋の飛車の前に持ってきた銀を棒のようにまっすぐ進めて、後手の角頭の弱点である「2三」の地点を潰して飛車が成り込むことを狙う。1筋や3筋に銀を置いて「2三」を狙うが、銀を取っている間に潰して成り込むというのが簡単な手筋。もちろん様々なバリエーションがある。

 棒銀は「振り飛車」対策として有効な作戦と言われていた。菅井竜也八段(32)や稲葉陽八段(35)らを育てた元A級棋士で兵庫県出身の名伯楽・井上慶太九段(60)は著書『井上慶太の居飛車は棒銀で戦え』(NHK出版)の中で、《棒銀は手順が分かりやすく、破壊力も抜群。(中略)棒銀をマスターしていただければ勝率もぐっと上がるであろう》と記している。

 井上九段は苦手にしていた南芳一九段(60)と名人戦順位戦のB級1組で対戦した際、後手だったものの「矢倉棒銀」を採用して快勝したことがA級入りの大きなきっかけとなったという。これを機に兄弟子の谷川浩司十七世名人(62)も矢倉棒銀を採用し、この戦法で当時の羽生善治名人(53)から名人位を奪取して永世名人の資格を得た。井上九段は「兄弟子の永世名人獲得に少しは貢献できたかもしれません」と話したことがあった。

次ページ:伊藤に2連敗は引きずらず

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。