国民的ヒーローから「元妻を殺した容疑者」に O・J・シンプソン氏の激動の人生

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「金で買った無罪」と言われて

 翌95年、陪審は無罪評決を下した。

「陪審は検察側が示した証拠に一点でも合理的な疑いが残っていないかを判断します。証拠に疑問点が残れば、有罪とはいえないということです」(春名氏)

 シンプソン氏は弁護士費用に約1000万ドルを投じ、金で買った無罪と言われた。97年に遺族は民事訴訟を起こす。殺害の責任が認定され、3350万ドルもの賠償を命じられた。

「刑事裁判で無罪となり、民事で責任が問われるのは、特異なことではありません。俳優のロバート・ブレイク氏も妻の殺害容疑で同じ展開をたどった。民事では証拠の優越性が問われ、陪審員の意見が全員一致する必要もないのです」(春名氏)

 民事で責任が認定されても刑事裁判がやり直されることはなく、自由の身だ。

俳優としても活躍

 47年、サンフランシスコ生まれ。栄養失調に陥るほど貧しかったが、プロフットボール(NFL)のスターに。アメリカンドリームを体現したと称賛された。79年に引退する前から俳優としても活躍していた。

 映画評論家の垣井道弘氏は思い返す。

「日本ではアメフトより映画で知られていたでしょう。有名人のゲスト出演ではなく物語の流れにからむ重要な脇役を務めています。火災パニック映画の傑作『タワーリング・インフェルノ』(74年)では異変に気付く保安係で存在感があった」

 アメリカでCMタレントとしても成功した最初の黒人ともいわれる。黒人、白人を問わず好かれた証しだが裁判を経て名声は地に堕ちた。

強盗でも逮捕

 2007年に強盗で逮捕。ラスベガスのホテルの部屋に銃を持ち仲間と押し入り、コレクターを拘束、自分が以前に売ったトロフィーなどを奪った。9年から33年の懲役刑が確定、17年、模範囚として仮釈放された。

 4月10日、76歳で他界。

 選手時代の年金を民事の賠償金に差し押さえできない制度になっており、支給額は毎月約1万ドルもあったという。近年はラスベガスに住み、ゴルフを楽しんでいた。殺人の真相は謎のままだ。

週刊新潮 2024年4月25日号掲載

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