「1万円しかないのに困った後輩に5000円を…」 曙太郎さん、仲間から慕われた優し過ぎる素顔とは

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「天井から曙さんの巨体をベルトでつるして…」

 大相撲の第64代横綱で総合格闘家やプロレスラーとしても活躍した曙太郎さんが今月上旬、心不全のため54歳の若さで死去した。およそ7年間もの長きにわたった入院生活や、元気だった頃の豪快すぎる人柄について、かつてのパートナーたちに話を聞いた。【前後編の前編】

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 曙さんは2017年4月11日、福岡県でプロレスの試合に出場した後、体調を崩した。この翌日に緊急搬送されると、治療中に心臓が37分間停止し生死の境をさまよったが、奇跡的に蘇生。以降は記憶障害を患い、慢性的な心臓の病を抱えながら入院生活を送っていた。

 プロレスで曙さんとコンビ「SMOP」を組んでいたタッグパートナーの浜亮太氏(44)はこう語る。

「曙さんは入院中、会話のやり取り自体は問題なくできていました。僕たち友人やご家族が誰なのかをきちんと判別していましたし、プロレスに関する昔の出来事も細かく覚えていた。ただし、直近の記憶が失われてしまう状態だったそうです。翌日になると、前日のことをほぼ忘れてしまうと聞きました」

 心臓停止の後遺症により体も不自由で、

「天井から曙さんの巨体をベルトでつるして、歩くためのリハビリを行っていましたが、それすらもままなりませんでした。普段、病院内でベッドを離れる時は車イスを使って移動していたのです」(同)

“直前まで普段通りに過ごしていたけれど…”

 入院生活を支えたのは最愛の伴侶、クリスティーン夫人(52)だった。

「クリスティーンさんは仕事の合間を縫って病院に足を運び、ご飯を食べさせたり着替えを持って行ったりと世話を焼いていました。曙さんは箸の持ち方などの細かな動作を忘れてしまっていたのです」(同)

 昨年の春ごろから体調がより悪化していったそうだが、亡くなるとまでは誰も思っていなかったという。

「曙さんが亡くなった後にクリスティーンさんが電話を下さいました。“主人は直前まで普段通り過ごしていたけれど、私が気付かないうちに心臓が止まり、眠るように亡くなっていました”とのことでした。7年間、献身的に介護を続けてきて、やり切ったという安堵に近い気持ちがあったと思います」(同)

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