コロナ禍がきっかけで、神奈川県で300坪のイチゴ農園を開業、シンガポール・ドバイへ輸出する計画も…元中日投手(31)が明かす第二の人生

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前編【元中日投手からイチゴ農家に転身した男の告白 高校・大学は全くの無名、独立リーグ時代に訪れた転機“考え抜いたプロの需要”】のつづき

 ノンフィクションライター・長谷川晶一氏が、異業種の世界に飛び込み、新たな人生をスタートさせた元プロ野球選手の今に迫る連載「異業種で生きる元プロ野球選手たち」。第8回は中日ドラゴンズで投手として活躍し、今はイチゴ農園を営む三ツ間卓也さん(31)。前編では、アマチュア時代からの夢だった「プロ野球選手になる」夢を叶えるまでの奮闘ぶりを伺いました。後編では、現役引退後、未経験だったイチゴ農家へ転身した理由を聞きます。(前後編の後編)

きっかけは息子のために始めたイチゴ作り

 育成枠で中日ドラゴンズに入団、わずか1年で支配下登録を勝ち取り、一軍の中継ぎとして77試合に登板した。球団初となる育成枠出身の勝利投手にもなった。しかし、プロの壁は厚く、故障にも見舞われ、三ツ間卓也のプロ生活は6年で幕を閉じた。2021年秋のことだった。すでに29歳になっていた三ツ間がこのとき選択したのが、イチゴ農家への転身という、誰も予想できない道だった。これにはその頃、新型コロナウイルスにより緊急事態宣言が発出されていたことが大きく関係しているという。

「コロナ禍の最初の頃、プロ野球選手がコロナになると写真付きで全国放送されていましたよね。だから外に出ることもできずにずっと自宅にいました。でも、まだ1歳半の息子は外に出たくて仕方がない。そこで、父親的な目線で言えば、“せめて外の空気だけでも吸わせてあげたい”という思いで、自宅のベランダで家庭菜園を始めることにしたんです」

 自宅のベランダにプランターを置いて、バラやプチトマト、オクラ、ナスなど、さまざまな植物を育て始めた。気がつけばあっという間にプランターは15個ほどに増え 、その中にはイチゴもあった。

「当時はまだあまり言葉もしゃべれなかった息子が、“パパのイチゴがおいしい”って言ってくれました。緊急事態宣言で気持ちがふさぎがちだった時期なので、余計にこの言葉は強く印象に残りました」

 戦力外通告を受けた後、三ツ間は「不動産業界の営業職を目指そう」と考えていた。小さい頃から図面や間取りを見ることが好きで、大学卒業後には不動産会社から内定をもらっていた。

「すでに子どももいましたから、やっぱり家族のことを考えて安定した職業に就くつもりでいました。そんな考えを奥さんに話すと、“自分を犠牲にしてまで、家族のために働かないで……”と言われました」

 思わぬ申し出に面食らった。

「そして奥さんから、“ずっと補欠だったあなたが努力をしてプロ野球選手になった経緯を私は知っている。人一倍ガッツがあって、好きなことならとことん取り組める人なんだから、この先も自分が夢中になれる仕事をしてほしい”と言われました。そこで提案されたのがイチゴ農家だったんです」

 まったく予想外の展開だった。息子のために家庭菜園に精を出している姿を見ていて、「イチゴ作りは夫に向いているのかも?」と考えていたというのだ。そして、この言葉が三ツ間の背中を力強く後押しすることになった。

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