また死亡事故… メディアが山崎製パンの不祥事を大きく報じないナゾ

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過去のトラウマ

 ただし、ひずみがたまっていたのは現場だけではない可能性がある。そう感じさせる悲劇が起こったのは今年初め。飯島延浩社長の次男で、副社長を務めていた飯島佐知彦氏が1月9日に急死したのだ。56歳の若さだった。

「佐知彦さんの死因は謎に包まれており、社の上層部でも真実を知っている人はほとんどいないのではないでしょうか」

 と、先の山崎製パン元幹部は話す。

「ただ、社内からは“飯島社長がもっと早く後継者を決めていれば……”という声も聞こえてきます。後継社長の候補は佐知彦さんだけではなく、飯島社長の長男でやはり副社長を務めている幹雄さんも社長候補と目されていました。飯島社長が長男と次男のどちらかに決めきれないうちに、今回の悲劇が起こってしまったわけです。飯島社長が決断できなかった背景には、過去のトラウマがあるのではないか、といわれています」

 そのトラウマとは、社長の実父で創業者の飯島藤十郎氏と、その弟の一郎氏が経営権などを巡って骨肉の争いを繰り広げたことである。それがきっかけとなり、73年7月に飯島社長は父母と共にプロテスタント教会で洗礼を受けている。

 結局、この内紛は藤十郎氏と一郎氏が共に社を去ることで終息。結果、37歳の若さで社長に就任したのが延浩氏なのだ。

「PRESIDENT」(11年12月5日号)のインタビューで飯島社長は次のように述べている。

〈困難な出来事がたくさんありましたが、「狭い門からはいれ」という教えに救われてきました。

「狭い門からはいりなさい。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」(マタイの福音書7章13・14節、新改訳)

 同業者や流通を非難したり否定したりせず、さりとて追随することもしない。そして、相手を見て仕事をするのではなく、常に「あるべき姿」を追い求める。この教えに従えば、私の限界も突破でき、会社もそれによって道が拓けると思い、日々祈りを捧げ続けてきました〉

「今はだから、発表してませんでしょう」

 こうした飯島社長の考えは社員たちにきちんと浸透していないのではないか。本誌(「週刊新潮」)
の取材申し込みに対し、対面で取材に応じた広報部門の担当者の言動からは、そう感じざるを得なかった。

 千葉工場で加藤静江さんが亡くなった事故について公表するつもりはないのかと聞くと、

「今はだから、発表してませんでしょう」

 現在、労働基準監督署の調査が続いているという。それが終わったら事故を公表するつもりがあるのかと尋ねると、あろうことか、笑いながらこう答えたのだ。

「調査いつ終わるかも分かっていませんし、調査が来週終わるんだったら、さあどうしようかと今検討する機会になると思いますよ」

 自社の工場での死亡事故について聞かれているのに、笑いながら回答する。それが山崎製パンの「あるべき姿」なのだろうか。

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