妻と愛人が同居、想像しなかった二人の関係を知って…“何だかスッキリしない生活”を続ける52歳夫の本心

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前編【あんなことがあったのに、次に会った時はみんなで平然と…妻と愛人と同居する52歳「変人夫」が明かす“性の原体験”】からのつづき

 鶴田芳裕さん(52歳・仮名=以下同)は、両親に甘やかされて育った。友人らと「みんなで乱れまくってしまった」20代の出来事を性の原体験とする彼は、人妻と付き合い、相手の夫に殴られたこともある。お見合い相手だった翔子さんと結婚して息子が生まれたことで、人はこうして「普通の」生活をするのか、と納得したという。

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 芳裕さんには、自分自身への違和感があったのではないだろうか。「普通」にこだわるのはその証左かもしれない。溺愛されて育ち、自己肯定感が肥大している自身を客観的に見られるのが彼のすごいところだ。

「なんていうのかなあ、傍から見れば溺愛されているけど、僕の心の中が本当に愛情で満たされていたのかというと、そんなことはないのかもしれないと大人になってから思うようになったんです。自分が望むような愛を得られなかったという意味ではなく、溺愛って実は無関心とベクトルが同じなのではないかと思って。無条件に愛するというときれいだけど、うちの親の受け入れ方って、僕を理解した上でではない。僕の特性をわかって無条件に受け入れているのではなく、僕が僕でなくても礼賛したんだと思うんですよ……」

 だんだん禅問答のようになってきた。ただ、彼の気持ちはわからなくはない。自分が自分であることを認めた上で愛されたかったという思いがあるのではないだろうか。無条件な愛は崇高だと思いがちだが、親子の場合、子はもっと微細なところを認めて褒めてもらいたいものなのかもしれない。

「ただ、僕自身、子どもをもって、初めて無償の愛は実感しました。何かあったら自分の命に代えてもこの子だけは助けられると思いましたから。うちの親にはその覚悟が見えなかったのかもしれません。生意気な言い方ですが」

「昭和の男のロマンティシズム」

 自分でも意外なほど家庭に「はまった」芳裕さんだが、それは長くは続かなかった。子どもが小学校に上がるころには、家庭に飽きてしまったとあっさり言う。率直に言えば、「妻が母になっていく経緯」に気持ちが萎えていったのだそうだ。

「母というものはすごいと思いますよ。あんなに楚々としていた翔子が、子どもを産んだら強くたくましくなった。それには深い敬意をもっています。でもそれと同時に、僕は、妻に母を見たくなかった。息子にとっては母だけど、僕に対しては女でいてほしかったんです。もちろん、子どもを育てているときは無理だとわかっている。でもせめて、女でいるアピールをしてほしかった。24時間、母でいる妻を見るのがつらかった」

 何を勝手なことをと怒る女性もいるだろう。だがそれが芳裕さんの本音だった。彼はしきりに外に「女」を求めた。そして帰宅すると、母のような妻に甘えてもいたのだから、確かにいい気なものではある。だが、彼はそんなことをしてもどこか許されるキャラクターの持ち主でもあるのだ。

「30代後半からの10年間くらいは、女性を口説いて落とすのが楽しかった。でもあとからわかったんですよ。女性たちは口説かれて落とされたふりをしてくれただけ。彼女たちも気持ちよく遊びたかっただけなんでしょう。僕が女性たちと関係をもつのは、どこかで自分だけの天使を探していたような気がするんです。昭和の男のロマンティシズムですよ。今どきウケないのはわかってる。でも僕の本性はそういうものなんだと思う」

 彼はいつになく熱く語る。彼の女性好きは噂で聞いていたが、単に女性が好きというよりは、もっと切実なものを抱えた上での言動だったのかもしれない。

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