「スマホ育児」の意外な悪影響とは “思い通りにならない”経験をしない子どもが直面する厳しすぎる現実

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小学校の枠組みの“不自由さ”も意味がある

 小学校に入学すると、それまで保育園という比較的ゆるやかな枠組みで活動していた子どもたちが、小学校というより社会性を帯びた枠組みへ移行することになります。今まで「それなりに好きなようにできていた環境」から、そうではない環境に移るわけですから、中には不快を示す子どももいるでしょう(特に現代では)。

 でも学校の枠組みは、子どもを管理するとか、思い通りに操作するとか、勉強に集中させるとか、そんな薄っぺらな理由のために設けられているわけではありません。上記で示したような、児童期に獲得することが求められる「こころのテーマ:好き勝手したい欲求に妥協すること、周囲と協力すること」をクリアしていく上で、このような小学校の枠組みが欠かせないのです。

 よく小学校にあがったばかりの子どもがいる親から、「保育園ではもっとこうしてくれたのに」「ちゃんとうちの子の気持ちや言うことを聞いてあげてください」という意見が出されます。ですが、せっかく子どもが「現実に出会ってもがいている」のですから、大切なのは現実(学校)の方を変えようとするのではなく、もがいている子どもの苦しさを共感的に受けとめ、支えてあげることです。それが、子どもが自らの欲求に手綱をつけ、自分をコントロールし、周囲と調和するために大切なことになるのです。

親が無力であることの価値

 さて、ここまで読んでいただければわかると思いますが、言いたいことは結局、「子どもに起こる現実を真摯に伝えていきましょう」「現実に向き合う子どもを支えていきましょう」ということです。親の支えがあれば、子どもたちはその年齢で出会う程度の「現実」には、きちんと向き合い、成長の糧とすることができるものです。

 また、子どもが成長するほどに、親は子どもの「現実」に手が出せなくなります。

 小学生ならば、宿題の手助けができるでしょうけど、高校生になればそうはいきません。いつかは、子どもたちが出会う現実に対し、親が無力になる日が来るのです。でも、無力で良いんです。無力だからこそ「ただ支えること」に集中することができるのです。

 下手に「現実」の方を変えてしまえる力を親が持っていると、いつまでも子どもは「現実」を通した成長を遂げることが難しくなります。親は自身の無力さを、子どもの成長のしるしと思って受け容れていくことが大切だということです。

 なお、本稿の事例については、(1)本人および親から掲載許可が取れており、本質を失わないことに留意しつつ、個人情報が特定されないように改変を加えたもの、(2)いくつかの類似した事例を組み合わせたものであり、厳密にはフィクションになりますが、実際の事例と遜色のないものになっています。

引用文献・参考文献
中井久夫(2011)『「つながり」の精神病理 中井久夫コレクション』ちくま学芸文庫

藪下 遊(やぶした・ゆう)
1982年生まれ。仁愛大学大学院人間学研究科修了。東亜大学大学院総合学術研究科中退。博士(臨床心理学)。仁愛大学人間学部助手、東亜大学大学院人間学研究科准教授等を経て、現在は福井県スクールカウンセラーおよび石川県スクールカウンセラー、各市でのいじめ第三者委員会等を務める。「『叱らない』が子どもを苦しめる」(筑摩書房、高坂康雅氏と共著)を上梓。

デイリー新潮編集部

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