「障害者の支援や市議選への出馬」「公務員として地元に貢献」 土性沙羅と小鴨由水、二人の女性オリンピアンが明かした「第二の人生」

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 人々は選手が五輪で見せるパフォーマンスに一喜一憂するが、その評価を背負って先の道を行く彼らの姿に思いを致すことはあまりない。五輪出場で話題を集めた二人の日本人女性トップアスリートは、「第二の人生」をいかにつかみ取り、今、どう生きているだろう。【西所正道/ノンフィクション・ライター】

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〈人には、自分が今歩いている道の横に、並行して走っている人生が必ずある〉

 元陸上選手の為末大さんが書いた『諦める力』の一節だ。アスリートは現役の時から引退後に進む別の道を意識すべきだというのだが、これが容易ではない。

 2016年のリオデジャネイロと21年の東京、2大会連続で五輪に出場し、リオ大会では女子レスリング(69キロ級)で金メダルに輝いた土性(どしょう)沙羅さん(29)も現役時代をこう振り返る。

「引退後を考える余裕なんて全然なかったです。目の前のこと、金メダルを取ることに必死だったので」

 そんな土性さんは23年3月に引退を表明。翌月、故郷・三重県松阪市の市役所に就職した。なぜ地元に戻ることを選んだのか。

「ホントにやめたかった」

 レスリングを始めたのは01年、7歳の時。レスリングで国体に出た父親の勧めだった。教えを乞うたのは、五輪3連覇を成し遂げた吉田沙保里さんの父・栄勝さん。ちょうど隣町でレスリング道場を開いていた。

「怖かったです。覚えが悪いし攻められないのでカミナリを落とされる。ホントにやめたくて。でも怖くて言いだせなかったんです」

 彼女にパワーを注入したのが、あの“霊長類最強女子”。04年、吉田選手がアテネ五輪で金メダルを獲得した様子をパブリックビューイングで見たのだ。

「すごくカッコ良くて、私も五輪で金メダルを取りたいと心から思いました」

 練習にも積極性がでて、小学4年生の時、全国少年少女選手権で初優勝。中学2年の時にはクリッパン女子国際大会でも優勝。名門至学館高校に入学後も全国高校女子選手権で3連覇。至学館大学4年の時、念願のリオ五輪出場がかなった。

 試合当日は絶好調だった。

「私の前に出場した登坂絵莉さん、伊調馨さんがともに逆転で金メダルを取っていたので、決勝では私も終盤まで劣勢だったんですが諦めずに攻め続けて、残り30秒で逆転しました」

 松阪市では深夜から朝方にもかかわらず大勢の市民がパブリックビューイング会場に詰めかけた。優勝インタビューでは目に涙が。

「たくさんの方に応援され、支えられて取れた金メダル。うれしくて……」

 帰郷後、松阪駅前から市役所までをオープンカーで凱旋パレードした。沿道では1万5000人が祝福。松阪市民栄誉賞、しばらくして紫綬褒章も贈呈された。

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