プロ野球選手からアパホテル営業マンへ転身…元ヤクルト・川本良平さんが明かす「異例の名刺」と「ドライヤー」の秘密

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前編【阿部慎之助にサヨナラ満塁本塁打を、古田敦也監督は激怒…元ヤクルト捕手が語る、初めてプロの厳しさを知った瞬間】のつづき

 異業種の世界に飛び込んだ「元プロ野球選手」たち。第二の人生で、元プロという肩書きはどう生きるのか。ノンフィクションライター・長谷川晶一氏が、新たな人生をスタートさせた元プロ野球選手の今に迫る「異業種で生きる元プロ野球選手たち」。第7回に登場するのは川本良平さん(42)。前編では東京ヤクルトスワローズ入団後、古田敦也選手兼任監督から受けた薫陶を紹介した。後編は現役引退後、ホテルマンに転身。その仕事などについて聞いた(前後編の後編)

古田敦也は秀吉、伊東勤は信長、そして梨田昌孝は……

 古田敦也の薫陶を受けて、正捕手獲得に向けて歩み出した川本だったが、なかなかレギュラー獲得はならなかった。2008年にはFAにより、横浜ベイスターズから相川亮二が加入し、09年には現在、東京ヤクルトスワローズの正捕手を務める中村悠平も入団。川本の座を脅かす存在が次々と現れた。

「わざわざFAで獲得するということは、相川さんはチームが すごく期待している即戦力だし、同時に球団としてはムーチョ(中村)を正捕手に育てたいという思いがあることは自分でもわかりました。結果的に、この頃から僕の立ち位置はチームの三番手捕手になってしまいましたね」

 なかなかチャンスが訪れぬまま、時間だけが過ぎていく。プロ9年目となる13年には、自ら志願して千葉ロッテマリーンズに移籍した。2年後に戦力外通告を受けると、秋季キャンプでのテストに合格して東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した。しかし、1年限りで自由契約となった。

「トレードを志願したのは、“このままヤクルトにいても出番はない”と考えたからです。ロッテは温かく迎え入れてくれて、すごくやりやすかったけど、チャンスをつかむことができずに楽天に行き、そのまま引退することになりました」

 古田敦也、マリーンズで伊東勤監督、イーグルスでは梨田昌孝監督と、くしくも名捕手3人の下でプレーすることになった。

「古田さんは豊臣秀吉、伊東さんは織田信長、そして梨田さんは徳川家康タイプでした。古田さんは、“鳴かせてみせようホトトギス”で、とにかくあの手この手を使って打者を揺さぶってくる。伊東さんは、瞬間湯沸かし器とまでは言いませんが、信長のように激情型で、とにかく結果がよければOKでした。一方の梨田さんは“鳴くまで待とう”でどっしりと見守っている。そんな監督でした」

 プロ12年間ではさまざまな経験を積んだ。だからこそ、「NPBに関わる仕事をしたい」と考えていた。その一方では、「何か新しいことに挑戦してみたい」という思いも抱いていた。すぐにパソコン教室にも申し込んだ。当時34歳の川本の前には、さまざまな可能性が広がっていた。

「今から思えば浅はかな考えですけど、ゲームが好きだったので、“スクウェア・エニックスさんとか、ゲーム業界に関われたらいいな”という考えもありました。ホテル業界なんて、微塵も考えていなかったです(笑)」

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