13歳でデビュー、32歳で事務所消滅、40歳でパニック症…「54歳の奇跡」と言われた国民的アイドルの波乱万丈

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大場久美子インタビュー後編

前編【別居報告でネット騒然 「1億人の妹」国民的アイドルの今 YouTube&107つの資格&ボランティア】のつづき

 今年で芸能生活51周年を迎える俳優の大場久美子(64)。13歳で子役としてデビュー後は、歌手や俳優として活躍。「1億人の妹」とのキャッチフレーズで親しまれた。ただ、これまで順風満帆だったとは言えず、32歳の時には所属事務所が消滅する憂き目に。40歳の時にはパニック症を発症した。その後、8年かけて克服。グラビアにも挑戦し、「54歳の奇跡」と呼ばれたこともある。波乱万丈の人生の中で、たどり着いた境地とは。(インタビュー前後編の後編)

 芸能界デビューのきっかけは、幼少期のころにあったいじめです。学校に行けなくなり休んでいるときに、劇団メンバー募集が載ったチラシを、友達が持ってきてくれたんです。当時の私は家に引きこもって、ずっとテレビを観てアイドルの真似とかをしていました。

 チラシを見て、勇気を出して応募してみました。それまで、自分の意見を言えなかった私が、初めて自分から「やりたい」と言ったので、親は喜んで賛同してくれました。

 デビューしたのは13歳の時です。その後、アイドルでヒットしたらいい役がもらえるよとスタッフにいわれて2年間の約束でアイドル歌手デビューしました。当時、父が厳格な人だったからなのか、恋愛に疎く、極度な男性恐怖症なところもありました。マネージャーさんがバックを持ってくれただけで、そのバックに触れられないような状況です。それだけに、「1億人の妹」と呼ばれて、声援を浴びた時は、すごくうれしかったですね。

 78年に放送された主演ドラマ「コメットさん」も視聴率がよくて、当初は1クールの予定でしたが、1年半のオンエアになりました。今でも、「コメットさん」という風に呼んでくれる人もいます。

激動だった30~40代

 30~40代は激動 の時代でした。32歳の時に、所属事務所が突然消滅しました。会社にレッスン場があって、タップの練習をして戻ってきたら、みなが荷造りをしていたんです。ちょっと何が起きているかわからない状況で…。

 それからは両親と会社を立ち上げて、私がマネージャー兼経理をやって、現場に出ていました。スタイリストとして、自分で衣装を借りて返却したこともあります。当時は全部1人で動いていました。マネージャーのふりをして、声色を変えて電話を取ったこともありましたね。

 ただ、やはり無理がたたったのか、40歳の時に体調不良になりました。息苦しさや動悸があったりして、本当につらかったです。その少し前に母親が亡くなっていて、精神的に追い込まれていたのかもしれません。同じような症状の方から、お医者さんを紹介されて、診断してもらった結果、パニック症だとわかりました。病名が分かるまで4年かかりました。

 要因として考えられるのは、ストレスやショックなどの精神的ダメージです。ただ、具体的な原因がまだ解明されていないのが、パニック症の特徴でもあります。私の場合、薬などは使わず、克服しました。克服まで8年くらいかかりました。

 被災者支援を始めたのは、東日本大震災が起こった11年からです。今までの日常生活がガラッと変わった方も多かったと思います。私も芸能人として、仕事がお休みになって、これからどうしようかという時に、私のブログのコメント欄に書き込みをしてくれたのが現在の夫です。

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