【ウクライナ戦争】日本人記者が見たマリウポリの現実 残った市民がロシア支配下で生きるそれぞれの理由

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ロシア支配下で生きていく理由

 マリウポリ生まれマリウポリ育ちの40代の女性に話を聞いた。彼女は、マリウポリ経済は前大統領のポロシェンコ政権下で急激に悪くなったと言う。製菓メーカー「ロシェン」のオーナーであるペトロ・ポロシェンコ がマリウポリの製菓工場を買収・閉鎖したため、政権には不信感があったと話す。マリウポリ製菓工場は市民に広く愛されており、ロシェンにとってはライバル会社だった。しかし、マリウポリ経済が悪化しても、「それでも自分はウクライナ派だった。報道の影響は大きかった」と振り返る。

 その考えは戦争中に変わった。

 避難中に文字通り子どもが道に「落ちて」おり、周囲に大人はいなかった。子どもの顔は真っ赤に腫れ上がり、高熱があった。自身も二児の母であるためその子を置いておけず、一緒に市内から脱出を試みた。「ウクライナ兵に、私たちを町から出してください、それがダメなら何か薬をくださいと頼んだけれど、何もしてくれなかった。それどころか、それ以上粘ると撃つぞと脅された」と言う。彼女は市内中心部に引き返した。今では彼女は、プーチンを支持している。

 同じくマリウポリで生まれ育った年金生活者の男性は、ロシアもウクライナも好きでも嫌いでもない、自分にとってはこの町に残ることが大事だったと話した。

 彼は少し歩行が困難なので、避難中に手を貸してほしいとウクライナ兵に頼んだが、断られた。その後でロシア兵にも会ったので頼んだが、やはり断られた。彼はかつてロシアとの国境にいたウクライナの警備隊のことを「バンデラ主義者」と呼んで嫌っている。一般的にバンデラ主義者とはウクライナのネオナチ、民族主義者のことを指すが、彼は「泥棒」の意味で使っているようだった。「ロストフ州に行こうとすると、ウクライナ側の検問を通るたび、必ずモノを盗まれた。ロシア側の検問で盗難にあったことはなかった」と言う。

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