「パーティーではカーテンの陰に隠れて応対」 鳥山明さんのシャイで謙虚な人柄を同級生らが明かす「子どものためにスーパーサイヤ人を描いてくれた」

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貫いた“地元愛”

 世界をとりこにした「レジェンド」が、人知れず旅立った。3月1日、漫画家の鳥山明さんが68歳で死去。死因は急性硬膜下血腫だった。前編では、元アシスタントが明かす最後の会話などについて報じたが、後編では、鳥山さんをよく知る知人や同級生が語った知られざる素顔を紹介する。【前後編の後編】

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 売れっ子になっても上京せず、1982年には同業者と結婚。1男1女をもうけた鳥山さんは、ひたすら“地元愛”を貫いてきた。

「明さんのお父さんは10年以上前に亡くなりました。地元の会館で営まれた葬儀では、明さんの娘さんが描いたかわいらしいイラストが飾られていましたね」

 とは、さる近隣住民。

「昨年の夏の朝、ゴミ出しに出てきた明さんを見かけました。おしゃれなデザインの半袖に短パン姿でしたが、頭はつるつる。随分太ったなという印象でした」

 かつて「週刊プレイボーイ」(95年1月31日号)のインタビューで鳥山さんは、こう話していた。

〈僕は人込み嫌いだし、東京に行きたくなかったんです。それに、めんどくさがりだから、ひとり暮らしなんてとてもとても〉

「絵のうまさはずば抜けていた」

 古くから鳥山家を知る住民が言う。

「明さんのお父さんは近くにある生コン製造会社に勤めていて、小さい頃は会社の敷地内にある一軒家に、両親と妹さんの4人で住み込んでいました。お父さんはミキサー車を運転し、お母さんも従業員の食事の世話をしていた。暮らしは決して楽ではなかったはずです。小学生の頃から絵を描くのが好きだった明さんは、『高校には行かない』と言いながら、結局は両親に諭されたと聞きました」

 71年には県立起(おこし)工業高校(現・一宮起工科高校)のデザイン科に入学。同級生によれば、

「デザイン科の同級生は40人くらいでしたが、鳥山君の絵のうまさはずば抜けていました。彼は美術部と漫研同好会に所属していて、体育祭で使うハリボテのマスコットを作ったり、遠足のしおりの表紙を描いたりしていました」

 卒業アルバムには、鳥山さんの描いたガンマンのイラストが載っている。

「10代の頃は痩せていましたが、97年にクラス会で会った時は体形が違い過ぎて驚きました。それでも、料理には手をつけないで頼まれるまま延々とサインを描いていた。私も子ども用にお願いしたら、目の前で『超(スーパー)サイヤ人』を素早く描いてくれました」(同)

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