横綱・輪島の生家は能登地震で大破していた… 地元支援者が明かす「ウォークマン紛失の思い出」

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 昭和の時代は時葉山敏夫(1944~1995)、平成では栃乃洋泰一(現在は年寄・竹縄=50)、現役では大の里泰輝(23)など、石川県は多くの関取を輩出している。石川出身の現役関取は4人で、東京の6人に次いで2位タイ。そんな相撲王国・石川の出世頭は七尾市出身の第54代横綱・輪島大士(ひろし=1948~2018)だ。本名は輪島博。横綱まで本名と同じ四股名で昇進した唯一の力士でもある。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

中学校横に「横綱輪島大士之碑」

 2月中旬、能登半島地震の取材で輪島市や珠洲市を訪れた後、七尾市までやってきた。

 2018年に70歳で亡くなった元横綱・輪島の出身地が七尾市であることを思い出したからだ。JR七尾線・和倉温泉駅の前を通り、輪島の実家がある七尾西湾に面した石崎町へと車を走らせた。市立能登香島中学の横で「第五十四代 横綱 輪島大士之碑」と書かれた大きな顕彰碑を見つける。全国理容生活衛生同業組合連合会による建立で、裏には輪島の輝かしい経歴が詳細に刻まれていた。

七尾市では、今回の地震と津波により5人が亡くなった。輪島の顕彰碑は無事だったが、生家は大破してブルーシートがかけられていた。

「しのぶ会」会長の中西広さん(75)に話を聞くことができた。中西さんと輪島は、石崎小学校と旧香島中学校の同級生である。

 輪島は1948(昭和23)年1月、石崎町の理容店に生まれた。「父親の孝太郎さんが理容業だけでなく様々な商売で成功し、輪島家は裕福な家庭だった」と中西さん。

全勝優勝で横綱昇進

 小学生の頃から相撲がめっぽう強かった輪島は、私立金沢高校に進学すると全国大会で活躍。高校2年生の時、二所ノ関部屋の大横綱・大鵬幸喜(1940~2013)が勧誘に来たという。しかし、孝太郎さんが「相撲で成功しなかったら」と心配し、日本大学に進学。大学では2年連続で学生横綱に輝いた。

 1970年に花籠部屋に入門。幕下を2場所、十両を4場所で通過し、入門1年目に幕内に昇進した超スピード出世だった。72年9月場所の後にライバルの貴ノ花利彰(1950~2005)とともに昇進した大関は、たった4場所で通過。翌73年5月場所を全勝優勝して横綱となる。

 中西さんは「彼は早くから『横綱になりたい』と言っていた。金沢高校時代も石崎町に帰るといつも、私を呼んでいろんな話をした。私ら友人にも飲食などを振る舞っていた。当時、高価だったソニーのウォークマンをどこかに置き忘れてきた時は『そんなもん、欲しい奴が持っていきゃいいんだ』と探しもしない。金はいくらも湧いてくるものと思っていたようです」と話す。

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