「米国が沖縄を返還すれば、ソ連も…」 英国公文書館に眠る文書から読み解く「北方領土問題」の意外な解決策

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“非自治”を国連に働きかけ

 このような経緯から出てくる疑問は、日本が放棄させられ、ソ連の領土ともならなかった北方領土は、とくに米英において、どう位置付けられていたのかということだ。そして、北方領土問題とは南樺太と千島なのか、それとも北方4島に限定されるのかということだ。そのヒントを与えてくれるのがイギリスの「南樺太、千島」文書だ。

 この文書の正式な名称は「南樺太、千島、これらを非自治地域とみなすことについてのコメント」となっている。つまり、1964年ごろ、日本の外務省は南樺太、千島を非自治地域に指定するよう国連に働きかけ、イギリスに支持するよう求めていたのだ。それに対する回答を用意するためにこれらの文書は作成された。

 ここでいう非自治地域(Non Self Governing Territories)とは国連憲章第11章に規定されたもので、「人民がまだ完全に自治を達成するに至っていない地域」、つまり、いまだ国家を形成するに至っていない地域を指す。1946年以降、多くの地域がこれに指定され、その中のかなりの数が独立国への道を歩んだ。

 日本はソ連の侵略によって奪われた南樺太と千島をこの非自治地域のリストに入れようとしていた。つまり、日本領でもソ連領でもない第3の選択肢だ。

ソ連に外交攻勢

 なぜ1964年のタイミングなのかといえば、国連は1960年の非植民地化宣言を受けて、1963年に適用を受けるべき64地域の改定リストを承認したばかりだったからだ。国連のこのような流れにのって南樺太、千島を非自治地域のリストに加え、ソ連による占拠が不当であることを国際社会にアピールし、ソ連からこの地域を切り離そうと図ったのだ。

 実際、1962年に核ミサイルの配備をめぐって対立したキューバ危機で、アメリカの戦争も辞さない強硬姿勢に屈したあと、ソ連の政権が大きく揺らいでいた。その結果、1964年10月に最高指導者ニキタ・フルシチョフが失脚した。そこでソ連はこれまでの対日政策を大転換する可能性があった。

 日本は同年12月の国連総会に椎名悦三郎外務大臣を送り、演説の中で北方領土についてこう問題提起した。

「紛争が生じる前に、その原因となる問題点を解決するため、建設的態度と相互理解の精神をもってより積極的に協力すべきであり、(中略)この点で、わが国の北方領土の問題も、できるだけ速やかに、円満かつ公正に解決されることを強く希望せざるを得ません」

 また、同年、国連24カ国植民地地域委員会にソ連の北方領土占拠の不法性を訴え、この領土問題について委員会でソ連と話し合う用意があると覚書を送っている。政権が安定しないソ連に外交攻勢をかけていたのである。

 では、これに対するイギリスの態度や、日本の支持要請に対する答えはどうだったのか。

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