「米国が沖縄を返還すれば、ソ連も…」 英国公文書館に眠る文書から読み解く「北方領土問題」の意外な解決策

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利己的で背信的な侵略

 従って日本の領土について規定した宣言第8条に「本州、北海道、九州及び四国並びにわれわれが決める小さな島々」とあるが、この「われわれ」にソ連は含まれない。8月9日の日本に対する宣戦布告文では、ポツダム宣言に後で加わったと言っているが、一方的に言っているだけで連合国の承認を得たわけではない。

 対日参戦に関しても、アメリカ国務長官ジェイムズ・バーンズにソ連外相ヴァヤチェスラフ・モロトフが「ソ連に対日参戦を求める要請書をいただきたい」と言ったが、バーンズは言を左右にして与えなかった。のちに、バーンズとハリー・S・トルーマン大統領は、ソ連に日ソ中立条約に違反する口実を与えるつもりはなかったと回顧録などに書いている。

 つまり、満洲侵攻など日本に対する侵攻は、米英や連合国とソ連の協定に基づくものではなく、合意も得ていない、日ソ中立条約に反した、利己的で背信的な侵略だったということだ。

“ダレスの恫喝”

 ソ連も加わった1945年9月2日、戦艦ミズーリ号上で交わされた降伏文書の中でも、停戦を合意しただけで、領土については何も決めていない。つまり、南樺太、千島を軍事占領し、そのまま停戦したからといって、それらの地域がソ連のものになったと決めたわけではない。しかも、ソ連軍が歯舞、色丹の占領を完了させたのは降伏文書調印の3日後の9月5日だ。

 サンフランシスコ平和条約において、日本は南樺太・千島を放棄させられた。そうしなければ、占領が終わらず、独立が回復できないのだから、これは自発的なものではなく、こめかみに銃を突きつけられての「放棄」だった。

 しかも、この条約は、第25条に「但し、各場合に当該国がこの条約に署名しかつこれを批准したことを条件とする」とあり、条約に署名しなかったソ連は、この条約の恩恵を受けられない。つまり、日本が放棄した北方領土をソ連が手に入れることはサンフランシスコ平和条約に反する。

 さらに、この条約への署名を拒否したときアンドレイ・グロムイコ代表は、「この条約はソ連の北方領土に対する主権を認めていない」という理由を挙げている。言い換えれば、日本と連合国とはこの条約において、北方領土に対するソ連の主権、つまり領有を認めていないのだ。

 1956年の日ソ国交回復交渉においても、日本は平和条約締結後に歯舞、色丹を返還することをソ連に約束させたが、国後、択捉を諦めたとは言っていない。

「2島(国後、択捉)をソ連に渡すなら、サンフランシスコ条約により、アメリカはそれと同等のもの、すなわち沖縄をもらい受けることになる」といういわゆる“ダレス(当時のJ・F・ダレス米国務長官)の恫喝”もあり、2島(歯舞、色丹)返還で妥協することはできなかった。

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