【能登半島地震】馳知事は「ボランティアを控えるように」と言ってひんしゅくを買っただけ、飯田高校の出願者は半減…地元写真館オーナーが語る「珠洲市のいま」

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 地震発生から1カ月半が過ぎた2月18日、能登半島を訪れた。1月10日以来、2度目の訪問となった被災地で見たのは、復興の遅れだった。石川県珠洲市で写真館を営む男性は、行政の無策、故郷の衰退を嘆いた。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

2度目の被災地取材

 輪島市で車中泊し、漁師らの取材後、珠洲市へ向かう。1月の取材では輪島―珠洲間の移動に車で数時間かかったが、今回は1時間半で到着できた。だが、改善されたと感じたのは、道路の状況と避難所にダンボールベッドが入ったことくらい。

 珠洲市はいまだ断水している。市役所には日本財団から寄贈された水の循環装置が置かれており、簡易トイレの使用後、その水で手洗いができる。地震の直後は雪で手を洗っていたので、それよりはましという程度だ。

 そんな珠洲市で代々、写真館を営む「サカスタジオ」の3代目・坂健生(さか・けんせい)さん(66)に会った。実は1月に取材した時、市役所で住民らと話している姿を見かけたが、声をかけそびれた。坂さんのスタジオに貼ってあった連絡先をメモしており、今回いきなり電話したところうまく時間が合い、その日の夕方から話を聞くことができた。

卒業アルバム用の写真は無事

 坂さんは地震発生当時の様子を「ものすごい揺れで柱にしがみつくと、隣の家が崩れていくのが見えました」と振り返った。

 スタジオ兼自宅は頑強な鉄骨住宅。周囲の家屋や神社などが軒並みぺしゃんこになった中、たっぷり太陽光がそそぐ建物の大きなガラスが全く割れていないことに驚いた。

「建ててくれた建設士が電話してきたので『大丈夫でしたよ』と言うと、『そうでしょ、耐震を完璧にしましたから』と胸を張っていましたね」(坂さん、以下同)

 だが、写真屋としての心配があった。

「膨大な写真データを集積するSSD(記録装置)です。地震で天井の蛍光灯が割れ、破片が機械の中に落ちていました。スイッチを入れるとボワーンと変な音がしたので、やばいと焦った。何とか分解して掃除したら、正常に動いたんです」

 中には依頼された重要な写真データが山ほどあった。坂さんは珠洲市の県立飯田高校や市立大谷中学の卒業アルバムの写真撮影を任されていたのだ。

「撮り終えた生徒さんらの写真データを、まだアルバム業者に送ってなかった。これが壊れたら一巻の終わり。パソコンの画面で写真データの無事を確認した時には、本当に胸をなでおろしましたよ」

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