【能登半島地震】馳知事は「ボランティアを控えるように」と言ってひんしゅくを買っただけ、飯田高校の出願者は半減…地元写真館オーナーが語る「珠洲市のいま」

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ゴーストタウンになってしまう

 坂さんがショックを受けたのは、母校である飯田高校の今春の出願者数を聞いた時だった。

「入学希望者が昨年の半分になっているというのです。茫然としました。私は、高校卒業後に珠洲を出て、東京工芸大学 に通い画像工学を学びました。そして卒業後に写真屋を継ぐために故郷に戻りました。同じようにUターンした医師や歯医者などの友人はいますが、それは高校までは珠洲にいたから。中学を出てすぐよそへ出て行ったら、まず故郷に帰ってこない。過疎で年寄りだけになったと言われていたが、今回の地震でその年寄りまでも金沢などに避難してしまい、いなくなった。もうどうなってしまうのか」

「能登はやさしや土までも」という言葉がある。

「この辺の人はおとなしくて、辛く苦しいことがあっても不平を言わず、じっと耐えている。でもこれ以上黙っていたら、珠洲は限界集落どころかゴーストタウンになってしまう。こないだもNHKのキャスターが来られたけど、マスコミの取材は全て受け入れています」

車中泊するタクシー運転手

 珠洲市役所のロビーで小野島義男さん(71)に出会い話を聞いた。始まったばかりの公費解体の受付に来ているのかと思ったが、聞けば金沢市のタクシー運転手だという。道路の調査に来ている国土交通省の職員らを現場に案内しているそうだ。

 国交省の職員は珠洲市の施設に宿泊しているというが、小野島さんは毎日のように車で寝泊まりしている。自分たちよりずっと年長の男性を車中泊させて職員らは平気なのか。小野島さんはそのことに不平をこぼすわけではなかったが、筆者は「この国の国家公務員というのは一体、何なんだ」と怒りがこみ上げた。

 市役所前の避難所で大間玲子さん に久しぶりに会った。妻のはる香さん(当時38)や子ども3人、さらに妻の両親を失った、石川県警に勤める大間圭介さん(42)の母親である。前回会った時は、避難所で喪服を用意していた。告別式などは無事に終えたが、「はる香さんのお母さんの遺体が一部しか見つかっていないんです」と話した。

「ここの避難者もだいぶ少なくなって、私が主(ぬし)みたいになってるのよ」と話す彼女に、坂さんに会ったことを話すと「あら、あの人って、私の小中学校の同級生なのよ。昔からおしゃべりで賑やかだったわ」と朗らかに笑った。「みんな無口だから、取材者には坂さんのような人はありがたいんですよ」と筆者。

水道管はめちゃくちゃ

 坂さんに「ぜひ見てきてくださいよ」と言われ、津波で壊滅された海沿いの宝立(ほうりゅう)地区へ向かった。住めるような家はまったく見当たらなかった。地震発生から1カ月半以上経っているが宝立中小学校の避難所には200人以上が暮らしている。いまだに水は出ない。

 被災者が次々と水を汲みに来る大きなタンクの番をしていた男性は、愛知県の水道局から応援に来ているという。「水道管があまりにも古く、耐震補強もされていない。土中で滅茶苦茶に割れていて、全く復旧の目途が立ちません」と途方に暮れる。

 何もかもが国から後回しにされてきたのだ。

 東日本大震災の取材でも似た部分は感じたが、確かに石川県の人は忍耐強くおとなしい。「無策」の行政はそれに乗じているのか。珠洲市には坂さんのような人が絶対に必要なのだ。大いに声を上げてほしい。株価がバブル期の最高値を記録したなどと世間は浮かれているが、そんなことより能登半島の被災者が大事なはずだ。同世代のライターとして坂さんの拡声器になりたい。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「瓦礫の中の群像―阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声」(東京経済)、「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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