“崖っぷち”に追い込まれたオリックス「T-岡田」 もう一度輝く姿を見せた時に「4連覇」がぐっと近づく

スポーツ 野球

  • ブックマーク

Advertisement

在籍年数はチーム最長

 2024年、オリックスのキャンプインは2月2日だった。

 いわゆる「球界のお正月」より一日遅れとなるそのスタートは、キャンプ見学のファンが多い週末を考慮した上で、第1クールを「3勤」とする日程を組む都合上、通例よりも一日後ろ倒しにしたという。

 そうした融通を利かせられるあたりが、3連覇中のオリックスの“余裕”なのだろう。

 雨の初日。全員で隊列を組んでのランニングという、キャンプインによくあるシーンなども見られない。投手と野手も、時差をつけての室内練習場での始動となった。

 球場で報道陣に渡される練習メニュー表を確認し、私が室内練習場の取材ゾーンへ足を向けたのは、昼過ぎのことだった。

 記者たちが待機可能な場所は、選手の出入り口も兼ねている。ウォームアップのダッシュは、その出入り口付近から奥へ向かって走り、折り返して出入り口付近へ再び戻ってくる。

「あ、こんにちは」

 出入り口の方向へ走ってきた背番号「55」と、ぱったり目が合った。

 T-岡田は、今季がプロ19年目、キャンプ中の2月9日には36歳になった。誕生月が1ヵ月早い安達了一と同じ年齢にはなるが、在籍年数でいえば、チーム内でも最も長い選手だ。

「あの『55』をよく見ておけよ」

 2005年の高校生ドラフト1巡目指名で、地元・大阪の履正社高出身でもある、典型的なフランチャイズ・プレーヤーでもある。ただ“俺が俺が”というような、我を前面に出してくるような、押しの強さは全く感じられない、むしろ穏やかな雰囲気だ。

 だから、プロ入り当初の印象は、正直に言えば、私にもあまりない。

 その静かな若者が秘めていた大きなポテンシャルに気づかされたのは、2009年のことだった。高卒4年目のその年は、まだ「岡田貴弘」の本名でプレーしていた。

 当時の主砲はタフィー・ローズ。本塁打王4回、打点王3回、日本通算464本塁打を誇る、その偉大なる左打者から、私がこんな“アドバイス”をもらったのは、シーズン終盤を迎えた秋、当時の本拠地・ほっともっとフィールド神戸でのことだった。

「あの『55』をよく見ておけよ。彼はきっと、ものすごいバッターになるから」

 台頭の予感を見せ始めていた「岡田貴弘」に、ローズは自らのバットを贈った上で「俺のバットを振れるようになれば、もっと打てるようになるから」とメッセージも伝えたことまで教えてくれた。

 以来、T-岡田は基本的にその“ローズ型”で打ち続けている。

 しかも、ローズの予言は翌2010年に早くも的中する。33本塁打で初の本塁打王に輝いたのだが、その素質を見抜いたのは、ローズだけではなかった。

次ページ:「こんなええ選手、おるんや、と思ったわ」

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。