「ホッピーは演歌が似合う酒」…作曲家・船村徹はなぜ「演歌巡礼」の旅に出たのか

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「ホッピーは演歌が似合う酒」――至言ではないでしょうか。数々のヒット演歌を送り出してきた作曲家の船村徹さん(1932~2017)。朝日新聞の編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今回、取り上げる船村さんは出会いから感慨深いものだったそうです。ヒットの裏にあった思いとは何だったのか、じっくりとお楽しみください。

稚内の塩ラーメンが大好物

 新聞記者になって36年。さまざまな人物を取材してきたが、この人との出会いも感慨深いものがあった。市井に生きる人々の喜怒哀楽に寄り添い、土や海のにおいが濃厚に漂う歌を送り出した作曲家・船村徹さんである。

 村田英雄(1929~2002)の「王将」(1961年)、北島三郎(87)の「風雪ながれ旅」(80年)、鳥羽一郎(71)の「兄弟船」(82年)、細川たかし(73)の「矢切の渡し」(83年)、美空ひばり(1937~1989)の「みだれ髪」(87)……。手がけた作品は5500曲を超す。涙や故郷、男の心意気などを音で描く一方、女の情念あふれるしっとりとした曲や、春風のように軽やかな歌も作った。

 その船村さんに初めて会った場所が北海道稚内市というから、何やら運命的なものを感じないわけにはいかない。稚内? どこにあるのか分からない人は、日本地図で確認してほしい。日本列島最北の港町である。

 飛行機が嫌いな船村さんは、陸路で稚内を訪ねることが多かった。鉄道なら札幌からJRの函館本線と宗谷本線を乗り継いでひたすら北へ。北海道中央部に位置する旭川を過ぎたあたりから次第に人影のない駅が続く。亜寒帯の冷涼とした空気の中に入っていく感じと言っていいだろう。

「遠いロシアの荒野へでも迷ってしまったような感覚さえ覚えます。それがいいんです」

 と船村さん。札幌から稚内までは約400キロ もある。

 車なら新潟からフェリーに乗るパターンが多かった。小樽に着き、石狩湾を左手に臨 みながら「日本海オロロンライン」と呼ばれる海岸沿いの国道を北へ北へと目指すのが「船村流」旅のスタイル。もちろん、車はお弟子さんが運転していた。

 稚内に入ると日本海に浮かぶ利尻富士の悠然とした姿が楽しめる。初夏、海岸線を埋め尽くすハマナス。潮風に揺れるエゾリンドウの紫の花。「稚内に来ると創作欲がわいてくる」と船村さんは語っていた。

 最北の原野の雄大な情景をテーマにした「サロベツ原野」(2006年)という作品もある。愛弟子・鳥羽一郎さんが歌っている。そういえば、日本海を臨む砂丘林にあるレストハウスの塩ラーメンが船村さんのお気に入りだった。私も食べてみたが、澄みきったスープが何とも優しく、具材はチャーシューとメンマなどシンプルだった。

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