追悼「山根明会長」 メディアの袋叩きに遭った「歴史の男」が、一度だけ“涙”をこぼした理由 知られざる「山根おろし」の真相とは(スポーツライター・小林信也)

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やりきれない思い

 日本ボクシング連盟「第12代会長」山根明氏が1月31日午前3時35分、大阪市内の病院で亡くなった。死因は腎盂癌が肺に転移したためと家族は医師から説明を受けたという。腎盂癌が見つかったのは昨年12月、その時点で末期(ステージ4のさらに悪い状態)と診断され、療養していた。

 逝去の報に接し、私は、どうしようもない悔しさ、やりきれない思いに揺れている。

 山根会長は(注 ずっとそう呼んでいたのであえてこう書かせてもらう)、2018年に起こった〈日本ボクシング連盟の告発騒動〉で渦中の人となり、テレビ、新聞、雑誌など各メディアが一斉に報じた社会問題の主役だ。当時は日本ボクシング連盟の会長。しかも「終身会長」という、通常の競技団体では考えられない絶対的な立場を保障される存在だった。

 騒動は、〈日本ボクシングを再興する会〉(以下、再興する会)と称する有志の会が、同年7月末、日本オリンピック委員会や日本スポーツ協会、文科省、スポーツ庁などに告発状を送ったことをきっかけに起こった。再興する会は、山根独裁体制からの脱却を目指し、全国の有志が一丸となって決起した集まりで、各都道府県の連盟関係者、高校・大学の指導者、元五輪選手ら合わせて「333人が賛同している」と説明された。

健全化を謳い文句に

 具体的には、全国大会などで山根会長を迎える際、開催地の連盟が山根会長のために用意する〈接待リスト〉などが話題となった。〈奈良判定〉という言葉も有名になった。山根会長に忖度し、その出身母体である奈良県協会所属の選手に有利な判定が繰り返されているとの疑惑だ。こうした情報のひとつひとつが、いかにも前時代的で現代にあってはならない独裁者のイメージを増幅させた。

 約2週間におよぶ大騒動(山根バッシング)の末、8月8日に山根氏は自ら会長辞任を表明。騒動は一応の決着を見た。その後、日本ボクシング連盟は新たな会長を選出し、新体制で動き出した。

「山根会長の辞任で、アマチュア・ボクシング界は健全化した」と多くのメディアが報じ、一般の人だけでなく、スポーツ・メディアの取材者でさえそれを信じているほど、一見、平穏化している。

 だが残念ながら、現実は大いに違う。騒動の後も取材を続けている私の元には、「山根会長時代の方がずっと良かった」との悲鳴にも近い訴えが寄せられている。

 端的に言えば、あの騒動は、実は仕組まれたクーデターで、しかもそれはボクシングを愛する者たちに明るい未来を拓く目的ではなかった。「一部の勢力が山根に代わって権力を握るためのシナリオだった」ことが後に判明する。山根会長の不正を告発し、健全化を謳い文句にメディアも巻き込んだ一大キャンペーンの実像は違った……。私もその策略に乗せられた愚かな発信者のひとりだった。

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