「実子がいるのに、夫婦養子に儀式を…」 琉球王朝「尚家」のお家騒動、何が起きているのか

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「尚家の養子になるのは、母親としては驚き」

 御清明祭をめぐるこうした動きと同時に進められていたのが、先に触れた養子縁組と「一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会」の設立である。

 衞氏が、孝之・満喜夫妻と養子縁組を結んだのは2017年8月のことだ。二人は、沖縄や尚本家とはもともとまるで関係がない。

 孝之氏は、1977年11月、三重県生まれ。皇學館大学を卒業後神職に就き、その後、同県伊勢市にあり、夫婦岩で知られる二見興玉(ふたみおきたま)神社に奉職し、現在は禰宜(ねぎ)の職にある。

 満喜氏は1984年3月生まれ。産能短期大学を卒業後、2005年7月に東京の水天宮に巫女として奉職し、在職中に神職資格を取得。いくつかの神社に勤務した後、夫と同じ二見興玉神社に奉職したという。

 伊勢市に住む孝之氏の母は、「尚家の養子になるのは、母親としては驚きでしたが、名誉なことだと感じています。満喜さんは息子が連れて来た人ですから、それだけで納得しています。二人のなれそめなど、詳しいことは知りません」と話す。

息子のいる衞氏が養子をとった理由とは

 いちばんの謎は、すでに猛氏という息子がいる衞氏がどのような経緯でこの二人と知り合い、尚家の養子にとる決意にまで至ったのか、という点である。周囲には、「これからは孝之・満喜夫妻には祭祀を担当してもらいたい。そのための養子縁組である」と説明していたらしい。

 衞氏と孝之・満喜夫妻が知り合ったプロセスについて、尚家関係者は、「圭子さんが衞さんより先に知り合ったのだと思います。お二人は神事に通じており、満喜さんなら聞得大君という大役をこなせそうだと判断して衞氏に引き合わせたのではないでしょうか」と言うが、本土と沖縄の神事(とくに尚王朝の神事)は祝詞(のりと)、儀式の手順、祭器、供物などの点で大幅に違う。

 2019年5月、衞氏は先に触れた「振興会」を設立し、副代表理事に満喜氏を据えた。以後、どこに行くにも満喜氏を同行させ、各種行事や取材などでも、満喜氏を前面に出している。

 同年9月17日に野津圭子氏が亡くなる。最大の後ろ盾を失った衞氏は、圭子氏の子息・基弘氏との関係が悪化しており、葬儀にも出席できなかったという(ただし、満喜氏は出席したとされる)。以後、衞氏は孝之・満喜夫妻の住む伊勢市で暮らしている。

 そして、2020年に入ると、満喜氏は第21代聞得大君に就任する。当主・衞氏の指名による就任だが、必要な儀式を欠いて就任したためか、満喜氏本人は「臨時聞得大君」と称している。

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