現役引退後、37歳の時“うなぎ職人”に…元プロ野球選手(62)が語る“飲食店で成功した秘訣”24年間続いたうなぎ屋は今月末で閉店へ

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「商売は商いだから、決して飽きてはいけない」

 現役引退後、飲食業界に参入する元プロ野球選手は多い。しかし、何年も生き残り続けることができるのは、ひと握りだ。大野はどうして成功したのか? どんな心構えで仕事と向き合ってきたのか?

「大見栄切って、単価の高い店ではなく、地道に安い単価でやってりゃ、そんなに失敗はないと思うけどね。飲食の場合、大切なのは店主として、自分がいつも店にいるかどうかということ。人任せにしたり、大儲けしようと考えたりすると失敗するんじゃないのかな?」

 そして、大野は「元プロ野球選手としてのプライド」について言及する。

「頼まれていまも野球教室をすることもあるんだけど、グラウンドでは“元プロ野球選手だ”ってプライドを持って、子どもたちを指導しているよ。でも、この店ではプロ野球選手だとかどうとかを意識したことはないよ。だって、まったく別の世界なんだから」

 新しい世界に飛び込んでも、「プライドが邪魔をしてうまくなじめない」という話はよく聞く。大野は、それを笑い飛ばした。

「オレがこの店を辞めて、ガソリンスタンドで働くとするじゃない。そこで元プロ野球選手のプライドを発揮してどうするの? ネームプレートに《元プロ野球選手・大野》って書くわけにもいかないでしょ? そんなヤツがいたらバカみたいじゃない。下手なプライドが邪魔するケースをオレもたくさん見てきたけどさ」

 大観衆が見守る華やかな世界で生きてきた人間が、そう簡単に気持ちを切り替えることができるのだろうか? そんな質問を投げかけると、社会人野球経験者の大野は鼻で笑った。

「あのね、オレは社会人で7年やってたんだよ。最初から、そんなことは理解していたよ。当然のことだよ」

 2024年4月から、ビルの解体作業が始まる。「大乃」の営業は1月までと決めた。オープンしておよそ四半世紀が経過した。しかし、大野の胸の内には感慨はない。

「オレね、感慨みたいなものは何もないんだよ。野球は12年間やらせてもらって、うなぎは24年間やってきたけど、何て言ったらいいのかな、強いて言えば《生活の手段》という感じだから。周りからは、“大成功だね”って言われることもあるけど、そんな思いもないよ(笑)」

 それでも、四半世紀もの間のれんを守り抜いたのは事実だ。この間、リーマンショックもコロナ禍も乗り越えてきた。商売を続ける上で支えになった言葉がある。同じエンゼル街で軒を連ねる老舗とんかつ店「酒処 ふくべ」の先代からもらった言葉だ。

「もう亡くなっちゃったんだけど、その人に“飲食は商いなんだから、飽きちゃダメだぞ”って言われたことは今でも覚えている。飽きそうになるときにはいつも思い浮かんでくるんだよ。この言葉はオレにとって、すごく大切だね」

 今後については、「もう、うなぎはやらない」と大野は言う。大洋時代の先輩である遠藤一彦の紹介で、定期的に野球教室で子どもたちの指導に当たることも決まっている。それでも、まだまだ勤労意欲は旺盛だ。

「少年野球教室なんて、そんなに時間を取られるものじゃない。だから、老人介護の送迎バスの運転手をしようかなって考えているんだよね。オレの座右の銘は“振らなきゃヒットは生まれない”なんだけど、行動を起こさなければ結果も出ないだろ」

 プロ野球選手として、うなぎ店の店主として駆け抜けた。そして、これから三たび行動を起こす。新たな道でも、躊躇なくアクションを起こす。これまで、ずっとそうしてきたように――。

(文中敬称略)

前編【セ3球団を渡り歩いた“代打の切り札”大野雄次さんの告白 巨人を出された原因は長嶋一茂、引退を決意して野村克也監督から送られた言葉】からのつづき

長谷川 晶一
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

デイリー新潮編集部

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