海外挑戦しなかったのは「長女が飛行機嫌いだったから」 引退の遠藤保仁、“異色の経歴”を振り返る

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 サッカー日本代表とJ1で歴代最多出場記録を持つ遠藤保仁(43)が現役引退を発表した。記者会見は行わず、マネジメント会社の動画サイトで、涙を見せることもなく陽気に「バイバーイ」。一時代を築いたアスリートにしてはあっけない幕引きだった。

「サッカー以外はめんどくさがり屋の彼らしい」

 とサッカーライターが苦笑する。

 長きにわたり最前線で活躍してきた遠藤のことを知らない人は少ないだろう。だが、引退劇にとどまらないユニークな逸話の数々はご存じだろうか。

「応援団が一升瓶を片手に大挙して…」

 まずは、選手の相棒というべき“靴”について。

「長年、アンブロと契約。アディダスやナイキなど好待遇のメーカーと契約する選手が多い中、乗り換えることもなく、律儀に愛用し続けました」

 加えて人生の伴侶。サッカー選手の場合、モデルやタレントが定番だが、

「高校から付き合っていた彼女と結婚しました」

 出身地の鹿児島には後援会があるのだが、

「W杯では、数十人の応援団が焼酎の一升瓶を片手に大挙して駆けつける。お相撲さんならまだしもサッカー選手では珍しい光景です」

海外に渡らなかった理由

 何よりも彼の経歴で異色なのは、海外で渡り合える力量を備えながら“Jリーグ一筋”を貫いたことだろう。なぜなのか。

「長女が飛行機嫌いだったから。長女のみならず、家族に負担を掛けたくなかったそうです」

 そんな家族思いの遠藤も、一度だけ海外を目指したことがあったらしく、

「2010年W杯南ア大会後、ブラジルへの移籍を模索していました。次のブラジル大会に備え、万全の態勢で臨みたかったのだとか。結局、折り合いがつかず、計画は霧散しましたが」

 引退後の“第二の人生”もひと味違う。これだけ知名度があれば、解説者やタレント、あるいは中田英寿氏のような実業家になってもよさそうなものだが、

「古巣のガンバ大阪でコーチに就任しました」

 12日には早速チーム初練習に参加。それも、裏方に徹した、地味な船出だった。

週刊新潮 2024年1月25日号掲載

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