「出家するなんて、許せない」――天才歌人・西行に対して、高名な評論家が言い放った「驚きの評価」

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 西行といえば、『新古今和歌集』に最多の94首が選入された天才歌人。若くして栄達の道を捨てて出家し、和歌の道を一途に追い求めた清廉な生き方は、多くの日本人を惹きつけた。

 西行歌集研究の第一人者で、慶應義塾大学名誉教授の寺澤行忠さんもその一人。高校生の頃から西行に心を寄せ、研究者の道を志してから60年あまり、その魅力を追い続けた。

 しかし、戦後の学界では、唯物史観の影響が強く、西行は必ずしも高く評価される偉人ではなかったという。寺澤さんの新刊『西行 歌と旅と人生』(新潮選書)から一部を再編集してお届けする。

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 老若男女を問わず多くの人々が、西行(1118~1190)に関心を寄せていることを知り、驚くことがある。西行はその生前から今日に至るまで、無数と言ってよい読者を持ってきた。西行に関する著作は、今日、驚くべき数に達している。

 現代は何を信じてよいかわからないような混とんとした時代でもあるが、その中にあって、何かはっきりとは表現できないが、西行に人間の生き方の本質に触れるものをみて、心惹(ひ)かれるのであろう。

 西行は藤原定家などと共に、新古今時代を代表する歌人である。『新古今和歌集』では、専門歌人ではない西行の歌が、藤原俊成、藤原定家、藤原家隆といった歌の専門家をはるかに上回る最多の94首が選入されている。そのうちの何首かは、今日でも多くの人の記憶にとどまっている。

 西行が多くの人々を引きつけてきたのは、歌のみならずその生き方に人々を引きつけるものがあったためである。旅の魅力を発見し、桜の美しさを多くの人に伝えた。また人生無常の自覚を促し、それを乗り越える道があることを力強く示した。さらには仏教と神道が共存する上でも、大きな役割を果たした。

「死に方」によって伝説化

 ただ西行の場合、歌のみならずその人間的な魅力が、多くの人を引きつけてきたことで、今日における評価は一様ではない。人に好き嫌いがあるように、西行の人間性や生き方を好まない人も、当然のことながらいる。歌人の中でも、多くの人が人間性をうんぬんされることが少ないのに対して、西行の場合は、人間性や生き方が、その評価に大きくかかわってくるのである。
 
 西行はかねて「願はくは花の下(した)にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃」と詠んでいた。その願い通りの死を遂げたことに、多くの人々が感銘を受け、おそらくそれが直接のきっかけとなって、西行の伝記は急速に説話化されることになった。
 
 鎌倉時代には西行を主人公とする説話『西行物語』や『撰集抄(せんじゅうしょう)』が書かれ、人々の間に浸透する。各地に多くの伝説や伝承が生まれた。伝説や伝承の多さという点では、弘法大師や小野小町に次いで多いのではなかろうか。

 それらは説話文学であるから、事実と異なることも多く書かれているが、近世の芭蕉なども、『山家集』などより、むしろこうした本を座右において親しんでいたようである。それでも芭蕉は、西行という歌人の本質を的確に理解していたと考えられる。

 後代の読者の中には、鎌倉時代後期に女西行と呼ばれ、日記文学である『とはずがたり』を書いた二条や、今西行と呼ばれた江戸中期の歌人・似雲(じうん)など、熱狂的ともいえる愛読者がいた。彼らは単なる愛読者というより、教祖をあがめる信者のような、ほとんど信仰に近いものだった。

唯物史観によって評価が逆転

 西行の読者の中には、そこまでではないにしても、それに近い熱烈な愛読者もいた。第2次世界大戦の頃までは、そうした傾向も多かれ少なかれ、確かに続いていたように思われる。
 
 それが戦後、唯物史観の影響が強くなってくるにつれて、見方が変ってくる。

 西行研究に関しては、特に風巻景次郎の影響が強かった。風巻は従来の西行研究が、神秘のベールに包まれたものであるとして、そうしたものを一切取り払った実証的な西行像を構築しようとした。彼の著作『西行』(昭和22年)では、西行は凡卑な身分であったから、その枠の中で凡卑な生き方しかできなかったとするような見方で論が展開されており、この著作の影響はきわめて大きなものだった。

 一人の歴史上の人物を見る場合、できるだけ客観的にみる必要があることは、論を俟(ま)たない。ただ人物や生き方の評価は、見る側の人間の人間観、世界観、歴史観に大きく左右される。西行の場合、その生き方そのものが、人々の関心を引き付けてきただけに、歌自体の評価と共に、生き方が大きな問題となってくる。生き方とその作品が、密接不可分なのである。

「社会に背を向けて出家するなど、到底許しがたい」

 かつてある知人宅を訪問した折のことである。先客があり、その先客氏はある政党のイデオローグと言われた高名な評論家であった。話がたまたま西行に及んだが、その先客氏によれば、「西行は世にあって社会改革に努力すべきであったのに、社会に背を向けて出家するなど、到底許しがたい」ということであった。

 先方も生涯かけて築き上げた人生観であり歴史観なのであろうから、話はそれ以上には進まなかった。人生観や歴史観、世界観の違いというのは、こういうことなのである。
 
 文学史上に名を残した人々、例えば紫式部や井原西鶴、またシェークスピアやゲーテなどの場合、その人物や生き方が作品と同等かそれ以上の問題として取り上げられることは、ほとんどないと思われる。しかし西行の場合は、先に述べたように、作品とともにその人間性に対する読者の見方が、その評価に大きくかかわってくるのである。

※本記事は、寺澤行忠『西行 歌と旅と人生』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。