能登半島地震 2度目の被災で「もう輪島には住めない」避難生活者の本音

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 元日に起きた能登半島地震で、大きな被害が出た石川県輪島市。200以上の露店が並ぶ観光名所だった朝市通りでは、地震後の火災で5万800平方メートルが焼失し、今なお行方不明者の捜索が続けられている。今月12日、輪島市で避難生活を送る住民に話を聞いた。(前後編の後編)【粟野仁雄/ジャーナリスト】

前編【震災から10日後の珠洲市 福祉避難所の不足、水不足で「風呂桶に雪を詰めて……」】のつづき

忍耐強い能登半島の人

 12日朝、「輪島の朝市」へ向かうと一面まっ茶色の焼け野原で、95年に起きた阪神・淡路大震災で37店舗が焼失した神戸市長田区の菅原市場を思い出した。しばらくすると、石川県警の捜索隊が行方不明者の捜索を始めたが、午後4時前にはその日の作業を終えた。二次災害の危険性がある中で、長時間の捜索は難しいのだろう。17日には、10人の遺体が見つかったという。

 輪島市役所では、犬を連れて避難する人に出会った。

「市役所は3階が普通の避難所、4階がペットを連れた人専門の避難所になっているんです。でもすぐに別のところに移動しなければならないんです」と男性が話した。

 物資搬入の支援に訪れていた長野県庁職員の古越万紀人さんは「輪島市まで送られた物資も、道路が遮断されており避難所に行きつかない。震災から10日も経っているのに、段ボールベッドもいまだ届いていません。こんなひどい状況は他の災害被災地でもなかなかないと思います。普通の人なら、黙っていないでしょう。ここの人は我慢強くて驚きますよ」と話した。

 東日本大震災での東北の人達の忍耐強さを思い出した。古越さんは「支援物資を配ろうとしても、ここの人たちは全員の分が平等に行き渡るまで受け取らなかったりするんですよ」と語った。

感染症に警戒

 雪が強くなった昼前、県立輪島高校の避難所に行くとなにやら慌ただしい。抱えられるようにして建物の外に出てきた高齢女性が、救急車に乗せられた。病院に搬送されるわけではないという。

 NPO法人「ジャパンハート」の医療チームに所属する看護師の吉田夕佳さん(神奈川県藤沢市在住)によると、この女性は感染症にかかり、この避難所の一角に隔離されていたが、症状が良くなったため元いた避難所に戻るところだという。

「新型コロナ、インフルエンザ、腸炎などに感染した方は、隔離しています。この避難所には、医師が常駐しているので回復したことが確認されたら、元の避難所に戻ってもらっています。ここは広いので隔離出来ますが、ほかの避難所はそれも難しいです」(吉田さん)

 さらに吉田さんは、避難所生活で命を落とす「震災関連死」の防止が急務だと話す。

「水不足で皆さん風呂にも入れず、衛生状態が悪くなっています。感染症が流行する季節なので、感染症を専門に医療支援活動を行っています。避難所で生活している人だけでなく、車中泊の人もいるのでエコノミー症候群にも警戒しています」と吉田さんは気を引き締めた。

 輪島市職員の石坂啓伍さんは「(避難所の運営などは)最終的にはボランティアにもお願いしたい。ボランティアセンターは能登空港にあるけど、被災地域に繋がる道は一本だけで緊急車両優先。交通状況が改善されなければ、ボランティアの受け入れも始まりません」と話す。

 さらに、「ここは270人くらいが避難している。感染症などを防ぐためにも定期的に換気していますが、気温が低く窓を開けるのも辛い。仮設トイレは衛生状態が悪いし、避難生活が長引くほど、衛生状態が悪くなっていきます」などと避難生活を送る市民を案じた。

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