“別班”以外にも自衛隊に「秘密部隊」があった! 衝撃レポ…「妻帯者、家族持ちはゼロ」「ロシアの無線を傍受する“謎の部隊”が」

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「治外法権」エリア

 そして奥尻を初めて訪れた冬、基地の司令は黙って私をアンタッチャブルなエリアの近くまで案内してくれた。雪をかぶった木立ちと高いフェンスにさえぎられて、建物は辛うじて一部がうかがえるだけだ。自衛隊の玄関に付き物の、部隊名が大きく墨書された看板は見当たらない。「あそこは私も建物の中に入ったことがないんですよ。何をやっているのか、詳しくは知らないし、聞いたところで教えてくれるはずもないから、最初から聞かない」。基地のトップである司令の権限さえ及ばぬ、そこは「治外法権」エリアなのだ。

「その話でしたら、私は失礼します」

 しかし今、私の眼の前には、3佐の胸元に掲げられた〈東千歳通信所〉の文字がある。伝聞や確証のない不確かな情報ではなく、紛れもない事実としてここにある。そう、〈東千歳通信所〉は、現実に、〈奥尻〉に存在しているのだ。もちろん3佐があの看板のない建物の中で日々何をしているのか、秘密の中身は隠されたままだが、私は「秘密」というものの一端にこの手で触れたような気がしてきた。興奮のあまり私はつい口走っていた。「やっぱり東千歳通信所は、実在するんですね」。3佐は表情も変えず、いきなり立ち上がった。「その話でしたら、私は失礼します」。私は3佐を引き留めた。〈東千歳〉の件は話題に振らないことを誓い、ようやくインタビューにこぎ着けた。

 あれから30年、特定秘密保護法や国際情勢の緊迫化のせいで自衛隊をめぐる秘密の壁は比べようがないくらい高く厚くなっている。おそらく今だったら、たとえ人命救助の話であっても、秘密のべールに覆われた情報部隊に在職する3佐本人に会えることはなかっただろう。だから作業服の胸につけたネームタグの文字を眼にすることもなかった……。一瞬の秘密との遭遇。それこそが奇跡のような偶然だったのだ。

(杉山氏は昨年10月19日に逝去しました。本稿が最後の原稿となり、遺族により小社に託されました)

杉山隆男(すぎやまたかお)
ノンフィクション作家。1952年東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業後、読売新聞記者を経て執筆活動に入る。86年に『メディアの興亡』で大宅壮一ノンフィクション賞を、96年『兵士に聞け』で新潮学芸賞を受賞。以後、『兵士を見よ』等の「兵士シリーズ」を刊行。

週刊新潮 2024年1月18日号掲載

特別読物「『兵士に聞け』の大宅賞作家 遺稿 『VIVAN』とは“別班” 私が遭遇した自衛隊『秘密部隊』」より

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