21歳にして「目標は名脇役」と語った元関脇・寺尾 「和やかな相撲部屋」を作り上げた功績も(小林信也)
和やかな相撲部屋
私が寺尾と再会したのは、錣山(しころやま)親方になった後だ。ずっと取材している新潟県立海洋高校相撲部の優勝祝賀会に、同校出身の王輝と出席していた。王輝は中学3年の時、全国中学大会で3位に入った逸材。王輝に勝って優勝したのが現大関の貴景勝、2位が現幕内の阿武咲(おうのしょう)だ。王輝は能生中から海洋高に進んだが、脱臼など故障が続き、悶々と過ごしていた。そんな王輝を見て、総監督の田海(とうみ)哲也が促した。
「もうすぐ名古屋場所が始まる。知り合いの錣山親方に連絡したから、相撲部屋の見学に行ってみないか」
高2の6月だった。王輝が振り返る。
「言われたとおり、ただ見に行くつもりで、3日分の荷物だけ持って名古屋に行ったんです。そしたら先輩はみんな優しくて、すごく居心地がよかった。稽古は厳しいけれど、普段の生活は楽しかった」
3日目に親方から「どうするんだ」と聞かれ、思わず「はい」と答えた。それで入門が決まった。不思議なことに、錣山部屋に入ると脱臼癖も出なくなった。
ネットを検索すると、王輝の誕生会の動画を見ることができる。ローソクに火をともしたケーキが運ばれ、錣山親方が「おめでとう」と叫ぶ。ひと昔前の相撲部屋のイメージとはほど遠い。和やかさで満ちている。それが元寺尾の築き上げた相撲部屋だった。
寺尾は昨年12月17日、うっ血性心不全のため亡くなった。60歳の若さだった。親方の急逝で力士たちの動揺は否めない。だが、ケガで十両から一時は序二段まで番付を下げ、今は三段目の王輝も十両返り咲きを亡き親方に誓ったに違いない。部屋頭の阿炎は三役復帰を狙う。寺尾が届かなかった大関昇進への挑戦が再び始まる。
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