「いまも墓に石を投げられます…」時代劇きっての敵役「吉良上野介」は本当に“悪人”だったのか? 知られざる「忠臣蔵」の謎

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「太平記」に見る「忠臣蔵」流行の秘密

 一方、赤穂事件を題材にした『忠臣蔵』が今も高い人気を有している理由として、みすずさんは『太平記』の存在を挙げる。室町時代から武家の教養として親しまれてきた『太平記』だが、江戸時代には印刷技術の発展などに伴い、より庶民的な娯楽として多くの人々に親しまれていた。みすずさんが続けるには、

「討ち入り事件で大石内蔵助の名が知れ渡った当時、『太平記』に登場し、後醍醐天皇に忠誠を尽くした“楠木正成の再来だ”と言われたそうなんです。徳川家康が定めた武家諸法度には、“文武忠孝に励み礼儀を正す”という文言がありますし、世間に対して“文武忠孝に励んだものを厳しく処罰するわけにいかない”という建前もある。当時の大石内蔵助は、そのような武士としてあるべき価値観を担う存在に祭り上げられたとも言える。泉岳寺まで行進する赤穂浪士の姿に人々が熱狂した背景には、当時、武士として大切にされていた価値観があった。そのような点も踏まえながら、赤穂事件や『忠臣蔵』の作品を見てもらえたら、より理解が深まるのではないかなと思います」

 2023年も年末に差し掛かり、今年も『忠臣蔵』の特集が組まれる季節となった。

「実は、数年前に赤穂浪士の討ち入りがあった12月14日に、吉良上野介の墓を訪れてみると、人影まばらな寺の門の前に警備員が立っていたんです。話しかけてみると“この時期になると、決まって墓に石を投げにくる人がいるから”と、その理由を教えてくれまして……」(孝久さん)

 仇討ちの恨みは、300年以上経った令和の世にも根深く残っているようだ。

白鳥純一(しらとり・じゅんいち) 1983年東京都生まれ。スポーツとエンタメのジャンルを中心にインタビューやコラム記事の執筆を続けている。

デイリー新潮編集部

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