林昌範さんが回想する「巨人時代」 飛躍のきっかけは阿部慎之助の座学 いきなり投げたフォークで名選手が空振り「意外といいかも」

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 2024年が明けると、2月はプロ野球のキャンプインだ。今年も多くの新人選手が真新しいユニフォームに袖を通し、プロ野球選手としての人生をスタートさせる。その一方で、23年限りでユニフォームを脱いだ選手もいる。指導者や球団スタッフ、解説者など、野球に関係した仕事に就く人もいるが、そうではなく、異業種の世界に飛び込む人もいる。「元プロ野球選手」という誇りとプライドは、第二の人生でどのように影響するのだろうか。ノンフィクションライター・長谷川晶一氏が、新たな人生をスタートさせた元プロ野球選手の今に迫る新連載。第1回目は読売ジャイアンツ、北海道日本ハムファイターズ、横浜DeNAベイスターズで投手として活躍した林昌範氏(40)を紹介する。(前後編の前編)

サッカー名門校の「普通科、野球部」からのプロ入り

 スーツ姿が板についている。現役時代と変わらぬスリムな体型はそのままだ。デスクに座り、パソコンモニターをじっと見つめている。窓の外では教習車が慎重な運転を続けている。かつて、読売ジャイアンツ、北海道日本ハムファイターズ、そして横浜DeNAベイスターズに在籍した林昌範は今、半世紀以上の歴史を持つ自動車学校の専務取締役となっている。現役引退後、第二の人生の針路をまったくの異業種に定めた。パソコン教室に通い、テキストを買って簿記を学び、今では、財務諸表とにらめっこする日々を過ごしている。

「現役時代よりも、今の方が大変ですよ」

 林は言った。その理由を問うと、「自分一人で解決できないことが多いから」と白い歯がこぼれた。3球団、16年間もプロ野球の世界で生きてきた男は今、どんな思いで「経営」というジャンルで格闘しているのか? プロ野球の世界で経験したことは、今の仕事にどのように生きているのだろうか?

 林はサッカーで有名な千葉県の市立船橋高校に進学した。全国から精鋭が集まる体育科でも、サッカー部でもなく、「普通科」の林は「野球部」に入部することを決めた。高校2年の頃には野球専門誌で「注目選手」として名前が掲載されることもあった。だが、3年生のとき、試合中に味方選手と交錯して大けがを負ってしまう。

「この時に足を骨折して、全然練習が出来なかったこともそうだし、当時、プロ注目の日南学園・寺原(隼人)くんと練習試合で対戦したときに、“ちょっとレベルが違うな”と感じたこともあったし、自分ではプロに行けるとは思っていなかったです。でも、ドラフト当日のスポーツ報知のドラフト予想一覧の中に、自分の名前があったんです」

 その2001年ドラフト7巡目で、ジャイアンツから指名された。長嶋茂雄がチームを去り、原辰徳が新監督に就任することが決まっていた。

「うちの高校からはJリーガーになる選手は多かったけど、プロ野球選手になる人は全然いなかったので、正直、プロの世界がどの程度のレベルなのかはまったくわかりませんでした。だけど、元々はジャイアンツファンだったので、原監督とお会いできたのは本当に嬉しかったし、両親も舞い上がっていたし、自分がどんな世界に飛び込むのかもわからないまま入団したというのが、正直なところでした」

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