沖縄密約報道「西山太吉氏」、堕ちた看板記者を再起させた「妻」と「こん畜生」【2023年墓碑銘】

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生まれ変わっても新聞記者

 90年代に入って、夫妻は再び小倉で同居を始める。

「啓子さんは、国や新聞社から捨てられ、自分も見捨てたら死んじゃうと思ったんでしょう。“新聞記者西山太吉”の姿をもう一度見たかった。彼が本を書き始めたのは奥様の力が大きいと思います」(諸永氏)

 2009年、沖縄返還協定をめぐる密約文書の公開を要求して裁判を起こしたが、その最中、13年妻に先立たれる。落胆し食欲不振と不眠に苛まれた。「誰かと話さないと心が持たない」と時間もかまわず多くの人に電話をかけまくった。

 しかし自分に刑事罰を与える一方でうそを認めない国への“こん畜生”が辛うじて西山氏の正気を保たせた。前出の澤地氏が語る。

「沖縄密約情報公開訴訟と前後して密約を裏付ける米公文書が見つかり、さらに外務省元局長が密約の存在を認める証言をしても裁判所は無視し続けた。でも西山さんの態度は最期まで首尾一貫していました」

「生まれ変わっても新聞記者」と言っていた西山氏が介護施設で亡くなったのは去る2月24日。妻の命日の2日後だった。享年91。自宅には納骨しないままの妻の遺骨が置かれていた。

デイリー新潮編集部

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