「お姉さまの背中を追われているように見える」 佳子さまのお気持ちを象徴する「スピーチでのご発言」とは?

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「ほほ笑みの王女」

 実際、今回の南米ご訪問は開始早々から宮内庁のマネジメント能力が問われるトラブルが続出している。

 今年は日本とペルーの国交樹立150年の節目で、ペルー政府から佳子さまが招待を受けられて現地の記念式典に出席なさるのが主な目的。ところが佳子さまは、羽田からペルーへの中継地点であるアメリカのヒューストンで、2度も機材トラブルに見舞われてしまう。

 宮内庁やアテンドする外務省は急きょ、ペルー政府などに対し関連行事を当初の予定より1日遅れで行うべく調整。ようやくペルーの首都リマに到着されたのは現地時間の3日未明で、その午前中に記念式典へ着物姿で出席なさった佳子さまは、翌日にはリマから空路でインカ帝国の都だったクスコへと移動され、鉄道と車を乗り継がれてマチュピチュにお出ましになったのだ。

 かの地はアンデス山脈の高地で海抜2400メートルの位置にあるため、過密スケジュールで寝不足となられて疲労がたまれば、高山病を発症なさるリスクも高まる。

 そんな不安を抱かせないほど佳子さまは元気ハツラツ。周囲に笑顔をお見せになり、現地メディアから「ほほ笑みの王女」と称された。宮内庁も胸をなで下ろしていることだろうが、果たして現地報道を額面通り受け取っていいものだろうか。

招待状が届かなかった?

「佳子さまにあいさつできました! クスコの市役所に入られる際、遠くからですが“こんにちは”とお声をかけたら、こちらに笑顔で手を振ってくださったんです」

 とは、ペルー在住の日系2世・野内(のうち)マリナさん。マチュピチュの観光地化に尽力した初代村長にして1969年に亡くなった野内与吉氏の末娘にあたる彼女は、こう振り返る。

「4年前の眞子さんご訪問では日本大使館からクスコの日系人協会に招待状が送られてきたのですが、今回は届かなかったので何時ごろに佳子さまがお見えになるか分からず、会えるまでペルーと日本の国旗を手にしながら2時間ほど待ちました。市役所から帰られる際もお待ちしていたんですが、別のドアから出られたのかお会いできず残念でした」

 同行した日本メディアも佳子さまがマチュピチュ村の現村長と面会なさり、日系移民が観光産業の礎を作った歴史の説明を受けられたことは報じたが、当時を知る日系人たちとのご交流はかなえられていなかったわけだ。

 現地の日系人社会に詳しい関係者に聞くと、

「眞子さんご訪問の際に面会したクスコの日系人協会会長らにも、今回は招待状が届きませんでした。佳子さまとの交流を楽しみにしていた日系人たちは、現地の役所に面会の申請書類を出したんですが、返事はなかったと嘆いていました」

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