【追悼・谷村新司さん】大好物は老舗喫茶店「さぼうる」のナポリタン900円 “庶民”の目線で名曲を作り続けたシンガー・ソングライターの「いい日旅立ち」

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多くの人に大きな影響を

「冬の稲妻」「チャンピオン」「昴」など数々の名曲で知られるシンガー・ソングライターの谷村新司さんが10月8日、泉下の客となった。享年74。早すぎる旅立ちだった。

 音楽界の大御所であり、スターであった谷村さんは、多くの人々に大きな影響を与えてきた。MBS毎日放送の元プロデューサーで同志社女子大学教授の影山貴彦氏(メディア論)もその一人。谷村さんの存在によって「人生の針路が明確になった」と言う。

「中学1年のとき、谷村さんがパーソナリティーを務めていたMBSラジオ『ヤングタウン(通称・ヤンタン)』を聴いて衝撃を受け、ヤンタンのプロデューサーになりたいと強く思ったのです。谷村さんのヤンタンは当時、クラスのほぼ全員が聴いていたほどの大人気番組でした。私は1986年にMBSに入社したのですが、それからしばらくして谷村さんはヤンタンを卒業されたので、ボクとはほとんど入れ違いでした。ですが、その後ご挨拶することができ、お仕事もご一緒しました」

気さくに話しかけてくれて…

 「ラジオウォーク」という長尺の、年に1回の特別番組があった。2001年は浜村淳さんらパーソナリティーが古都・奈良の街を歩き、数万人のリスナーが、みなラジオ持参で参加した。イベントと生放送を連動して行う番組だ。

「その年は谷村さんがリスナーに混じって、奈良の街を歩いたんです。番組は、街の人と谷村さんが触れ合ったり、谷村さんにインタビューしたりしながら進行していく。そのときから私は谷村新司担当に。中1で谷村さんの番組を聴いて影響を受け、時が下り、谷村さん担当になった。不思議なえにしを感じますね」(影山氏)

「ヤンタン」を人気番組に育て上げた名プロデューサーに渡邊一雄氏がいた。ヤンタンの生みの親であり、育ての親である。親しみと敬意を込めて「大ナベさん」と呼ばれていた。谷村さんが師匠と仰ぐ人である。

「私は大ナベさんの弟子のようなものですが、ラジオウォークで私に“谷村新司付になれ”と言ってくれたのが大ナベさんなんです。大ナベさんからの指名であり、谷村さんの担当でもあり、非常に緊張していたことをよく覚えています。そんなとき谷村さんは、あのいい声で“影山ちゃん”と気さくに話しかけてくれ、随分ほぐれました。それがいまだに耳に残っています」(影山氏)

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