持続的なコーヒー生産と喫茶店文化隆盛を目指して――柴田 裕(キーコーヒー代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

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 気候変動の影響は、コーヒー豆の産地にも及んでいた。2050年までに「コーヒーベルト」と呼ばれる栽培適地が半減するというのだ。すでにキーコーヒーは対策に乗り出していた。さらには日本のコーヒー文化を守るべく国内外で喫茶店を展開する。老舗コーヒー会社が描く100年後を見据えた戦略。

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佐藤 柴田さんの名刺には「代表取締役社長」の肩書とともに、「コーヒーの未来部長」と刷られています。実際、社内にそうした部署があるそうですね。

柴田 はい。コーヒー生産に関するサステナブル活動を推進する部署として、昨年新設しました。会社全体から人を集めて11人います。

佐藤 具体的には何をされているのでしょう。

柴田 持続可能なコーヒー生産を行うための栽培技術研究や新品種発掘、産学官の連携などを行っています。実はいま、気候変動の影響により世界中のコーヒー生産国で、栽培が難しい状況になっているんです。

佐藤 生産地は主に赤道付近の高地ですよね。

柴田 その通りです。赤道を挟んで南北の緯度25度までを「コーヒーベルト」と呼んでいます。その中でも標高800~1800メートルの地域が、コーヒー豆生産量の約6割を占めるアラビカ種の栽培適地ですが、そこが気候変動によって2050年までに半減するといわれているのです。

佐藤 コーヒーにも「2050年問題」がある。

柴田 はい。気温が上がっているだけでなく、雨季と乾季のバランスが崩れてしまっているんですね。コーヒーには、花が咲く前に少し乾燥した時期が必要ですが、雨がダラダラ降ってしまうと、花が咲かなくなる。また、咲いた花もうまく受粉しない。その一方、雨がなかなか降らず、旱魃(かんばつ)で木が育たない地域も出てきています。

佐藤 どのくらい前から問題になっていたのですか。

柴田 ミラノ万博が開かれた2015年くらいからですね。ミラノ万博は「食博」と言われ、「地球に食料を、生命にエネルギーを」がテーマでした。そこから問題が広く共有され、翌年から私どもも「ワールド・コーヒー・リサーチ」というコーヒー研究の国際機関と協業し、2017年にインドネシアにある直営農園の一部を使って、気候変動に強い品種の発掘を始めました。

佐藤 そんな動きがあったのですね。すでに5年以上たっていますが、何らかの成果が出ていますか。

柴田 コーヒーは種を植えてから実がなるまでに3~4年かかります。ですから、すぐ気候変動に強い品種ができるわけではありません。その後は毎年、実がなりますが、その次の代がどうなるのかもわからない。まだ緒に就いたところです。

佐藤 国でいうと、現在、コーヒー豆を多く生産しているのはどこですか。

柴田 全世界のコーヒー生産量の3割強がブラジルです。どの国のコーヒー会社もブラジルから多く買っていると思います。それに続くのはベトナム、インドネシア、コロンビアなどで、各コーヒー会社の嗜好やブレンドの割合によって仕入れ先を分けています。日本では、「モカ」という品種が人気なので、その産地であるエチオピアからもけっこう買っていますね。

佐藤 モカは独特の酸味があります。

柴田 そして甘い、フルーツのような香りがする。

佐藤 キーコーヒーは、なんといってもインドネシア産の「トアルコ トラジャ」ですね。

柴田 「トアルコ トラジャ」には柑橘系の酸味があり、フローラルな香りがします。

佐藤 かつて「幻のコーヒー」と呼ばれていましたね。私が大学生の頃、新聞や雑誌でよく特集になっているのを見ました。

柴田 第2次世界大戦後に生産が途絶えていたのを私どもと現地の方々が協力して、1978年に復活させました。今年は発売45周年に当たります。

佐藤 インドネシアにはかなり広い農園があるようですね。

柴田 赤道直下のスラウェシ島に530ヘクタールの面積を持つ直営のパダマラン農園があります。また周辺の協力生産農家からも買い付けをしています。

佐藤 キーコーヒーは大正時代に柴田さんのおじい様が作られた会社ですが、ここを開発されたのはご尊父の代ですか。

柴田 その通りです。私は大学時代、父に連れられ初めてその農園を訪れました。まだ復活したばかりの時期でしたが、農園ができたことによって雇用が生まれ、道路などのインフラが整備されて、学校もできていった。当時は海外支援など国際的な仕事がしたいと思っていたのですが、コーヒーを通じても世界をつなげられるのではないかと思いました。

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