母親に無視された「お父さんに会いたい」の気持ち 幼少期の“連れ去り”が40歳男性にどんな悪影響を与えたか

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 幼いころの体験がその人間形成に決定的な“歪み”を残している人もいれば、過酷な人生を生き延びてきたのに、信じられないほどまっすぐな考え方をする人もいる。人がどういう人間になるかは、持って生まれたもの、環境、教育だと何かで読んだ記憶があるのだが、同じ家庭で育ったきょうだいでも性格が違うのだから、その人の持って生まれたものも大きいのかもしれない。

「よくある話かもしれませんが、家庭的にはあまり恵まれていない環境で育ちました。そのことが自分の人間形成に大きな影響があったと実感しています」

 坪井亮輔さん(40歳・仮名=以下同)は静かにそう言った。ごく普通のサラリーマン、結婚して11年、子どもはいないと淡々と述べる。

 彼は関東地方のある町で生まれた。父は地元の大きな工場に勤務するまじめな職人だった。母も同じ工場に勤めており、ふたりは社内結婚だった。社宅で暮らし、彼には3歳違いの妹もいた。

「親子4人、つましいながらも楽しく暮らしていたんです。両親が不仲だとは思えなかった。子どもの前ではいっさい口げんかもしたことがなかった。でも大人には大人の事情があったんでしょうね」

 彼が10歳、妹が小学校に入ったばかりのころだった。日曜だったが工場はシフト制なので、父は仕事に出ていた。朝早く母親に起こされ、わけがわからないままに妹と2人、「知らない男の人」が運転する車に乗せられた。助手席には母がいて、なにやら楽しそうだったのを覚えている。

「落ち着いた先は、隣の県の母の実家近くにある新築のアパートでした。何がなんだかわからなかった。妹は泣いていました。知らない男の人はいつの間にか消えていて、母が『今日からここで3人で暮らすのよ。あんたはお兄ちゃんなんだから、ちゃんと妹のめんどうを見てね』って。学校はどうなるのと言ったら、転校手続きをするからしばらく家にいなさいというんです。おとうさんに会いたいと妹が言ったら、『おとうさんとはしばらく会えないの』って。今でいう、母親が勝手に子供を連れて別居をはじめる“連れ去り”ですよね」

「おとうさんのようになってほしくない」

 両親の間になんらかのトラブルがあったのだろう。母は父と別れたかったのかもしれない。だがその前に、子どもふたりを連れて逃げたのだ。

「それから両親の間にどういう話し合いがあったのか、僕らはまったく蚊帳の外でした。母は工場を辞めて、アパート近くのスーパーで働いていたんじゃないかな。でも今思えば、おそらく生活費は父から出ていたんでしょう。あの頃、母からちゃんとした説明をされた記憶がない。妹とふたりで、いつもおとうさんに会いたいねと言っていた」

 一度、ふたりで元住んでいた家に行ったことがある。父は勤務中だったのだろう、家にはいなかった。彼は妹とふたりで手紙を残してきた。

「無口で子どもに愛想も言えない父だったけど、愛情は感じていました。父とふたりでキャッチボールしたり、妹と3人で近くの川に釣りに行ったりと、父はよく遊んでくれたんです。母に対してはそういう親しい気持ちはなかった。いつも勉強しろとは言われました。『あなたにはおとうさんのようになってほしくない』って。それがすごく嫌だった。父は口下手かもしれないけど、優しい人間だった。母には父のよさがわかってないと思ってた。僕らは父が好きだった。だからおとうさんに会いたいという手紙をポストに入れたんです」

 父に会いたいと母には言えなかった。彼は妹のめんどうを見ながら学校へと通った。妹は小学校中学年になると料理に目覚めたようだ。ふたりで食事を作って食べる生活だった。

「あのころ、母があまり家にいなかったような気がするんです。働いていたんだろうけど、よくある母子家庭みたいに、おかあさんが大変だから僕たちがんばる、みたいな記憶がないんです。むしろ妹とふたりでずっと一緒にいたことしか覚えてない。たまに母方の祖母が来ていましたね。静かで優しいおばあちゃんだった。僕らのことを不憫だ不憫だって言ってた」

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