「人にとっては新作展でも自分からすると旧作展」 横尾忠則が語る絵を描き終わった後の心境

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 一昨年の暮から描き始めて、今年の1月にやっと完成した百点の「寒山百得」展が、9月12日から東京国立博物館の表慶館で開催されています。ほぼ一年間描き続けた絵で、こんなしんどいことに取り組んだのは後にも先きにもありません。86歳から始めて、87歳まで、およそ不可能なことに挑戦してみようとほんとに馬鹿なことをしたものです。

 中国の唐の時代、国清寺というお寺に寒山と拾得という風狂の僧がいました。髪は伸び放題、ボロ切れのような僧衣を身にまとって、いつも気味の悪い笑いを浮かべた近寄り難い人物で、寒山は、手に巻き物を、拾得は箒を持って、用もなくうろついています。そんな二人を自由人の象徴として、平安、室町の時代から幕末まで、日本の画家は彼等をモチーフに数多くの絵を描いてきました。絵は江戸期で終って、その後、誰も描かなくなりましたし、文学においても芥川龍之介や森鴎外、井伏鱒二等が短篇を書いたぐらいで、その後は誰も見向きもしなくなりました。

 僕が寒山拾得に関心を持ったのは、正確ではないけれど三島由紀夫さんが文学に興味を持つなら森鴎外の「寒山拾得」を読むといいよ、というような意味のことを書いておられたからです。少し心の隅に引っかかっていたことから、森鴎外の短篇「寒山拾得」を読み、その後、井伏鱒二も読んだことで、寒山拾得にさらなる興味を持ち、この反骨人間をモチーフにして絵を描くとどんなものになるのだろうと、およそ現代美術の題材からほど遠いけれど、失敗を覚悟で挑戦してみようと思って始めました。

 ところが、これをモチーフにすると僕の今までの作風ではとっても描けない。彼等を描くためには日本の古典絵画の手法を導入するしかない。もしかしたら僕の今までの作品をぶち壊すことになるかも知れない。そんな覚悟で寒山拾得に取り組むことにしました。百点と決めたのは東博の表慶館の会場に100号サイズの作品なら百点並ぶだろうと考えたからで、だったら「拾得」の名を「百得」に変えて、展覧会名を「横尾忠則 寒山百得」展にすればいい、と実にふざけた題名にしました。

 それも東京国立博物館では日本の現代美術の作家の個展など一度もやったことがない、だったら前例に従がうこともない、こうした精神がそもそも寒山拾得の反骨精神とも同調する。まあ作家の僕がいくら勝手なことを言っても、東博がなんて言うかわからない、ところが学芸員の松嶋雅人さんが、僕の全ての希望をのんで、その結果、前代未聞の展覧会が実現したというわけです。

 でも100号を百点なんて、自分の年齢と体力を無視したような大負荷をかけたために「シマッタ!」と何度も思いながら、あとに引けないまま、やるしかない、大恥をかくかも知れない。それも運命だ、こうなったら与えられた運命に従がうしかないとスタートして、8ヶ月が過ぎた頃、安倍元首相が暴漢に襲われた、その5時間前に、僕も予想だにしていなかった急性心筋梗塞に襲われ、救急車で搬送され、何が自分の身体に起っているのかわからないまま、心臓のカテーテル手術を受けることになってしまいました。

 絵のことが気になっていたので、病院の先生に直訴して手術の翌日に退院、あとで考えれば実に無謀な行為であったと思うのですが、何しろこの時点で半分の50点しか描けていません。先生は2週間、筆を持たないようにして下さいと言います。さらに以前、日本画の先生が僕と同じ状態になって、退院後すぐ絵を描き始めたために再入院することになった、という話を聞かされたけれど退院の翌日からアトリエに入って、白いキャンバスを無言で睨(にら)むしかありませんでした。僕にとっての2週間は禁断症状、2週間明けの翌日は、何んと100号を1日で3点、アーティストというよりアスリートになって描きまくりましたよ。

 まあ、そんなことがありましたけど、目下、展覧会は無事開催されています。ただ、すでに9ヶ月前に描き上った絵ばかりで、いくら新作展だといわれても、僕にとっては旧作展です。見てもらうなら、描き上った作品をすぐ見てもらいたいのですが、もう最初の一作などは20ヶ月以上も前の作品です。すでに消滅した何光年も先きの星の光を見ているようなものです。

 もう僕の心は寒山拾得から、とうの昔に離れています。そして今、描いている次の作品のことで頭がいっぱいです。絵は描き終ると同時に自分から離れていきます。動物の親子の別れに似ています。離れた作品には未練はないです。次の子供(作品)を生む準備に大忙がしです。でも鑑賞者にとっては初めての出会いです。絵の中にいるのはその当時の自分で、今の僕はこの今の瞬間にしかいません。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2015年第27回高松宮殿下記念世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。22年度日本芸術院会員。

週刊新潮 2023年9月21日号掲載

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