ドリル優子の原点はここに 初の女性宰相候補「小渕自民党選対委員長」の超デタラメな政治資金

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クローズアップされた国家老

「観劇会や野球観戦とまったく同じ手口が、あちこちの新年会で行われていることになります。つまりこれは、同じ人物がずっとそうした処理を続けてきたのか、事務所内の暗黙のルールで脈々と引き継がれてきたのか、そのどちらかだと考えられます」(上脇教授)

 ここでクローズアップされるのが、経産相辞任とほぼ同じタイミングで職を辞した、お膝元・中之条町の折田謙一郎町長(66)である。役場関係者によれば、

「17日の午後を最後に、公の場から姿を消した町長は、週明けの20日、11時に突然、町議会議長に辞表を提出。そのまま車で走り去っていきました」

 この町長、小渕議員の関連団体のうち、前出の「後援会」「第5支部」そして同じく政党支部である「自民党群馬県ふるさと振興支部」の3団体について、報告書作成を実質的に取り仕切っていたという。辞職にあたっては、

〈ひとえに私の不徳のいたすところ。小渕大臣は政治資金には全く関与しておらず、収支の齟齬に疑念をもたれたのは当然のこと〉

 などとコメントを寄せていた。

「折田さんは、恵三さんの時代から30年以上にわたり私設秘書として小渕家に仕えてきた、いわば国家老のような存在です」

 と、本人をよく知る町政関係者。つまり、上脇教授が指摘したような、「ずっとそうした処理を続けてきた同じ人物」に当たるわけだ。

小渕恵三の車を譲り受けて

 この町政関係者が続ける。

「当時から大物秘書として通っていて、建設業者は折田さんに挨拶しないと群馬県に入れない、なんて噂が立つほどでした。現在の知事の選挙を支えたのも彼で、県内自民党の大変な実力者と言っていい。高崎の小渕事務所の所長を務めたのち、定年を迎えていったんは一線から退きますが、12年1月、町長のなり手がなかったため担ぎ出され、無投票で初当選を果たしました。その時は、“裏の人が表に出てきた”などと言われたものです」

 加えて、

「折田さんの愛車は、練馬ナンバーのセルシオ。本人曰く、もとは恵三さんの車だったそうで、亡くなったのち奥様から“折田さんに乗ってほしい”と言われて譲り受けたというのです。日頃の移動には公用車でなく、常にこれを使っています」

 その後、東京地検特捜部は一連の疑惑にメスを入れ、折田氏の事務所にガサをかけるなどしたが、会計書類などを保存したパソコンのハードディスクがドリルで破壊されるなど極めて悪質な妨害行為に立ち往生せざるを得なかった。「ドリル優子」とはその時につけられたニックネームだ。

 結局、特捜部は小渕氏本人の立件を見送り、折田氏ら元秘書2名を政治資金規正法違反(虚偽記載)で在宅起訴した。

***

 小渕氏は同じ14年12月に行なわれた総選挙にみそぎを受けるべく臨み、圧勝。17年の総選挙でも他を寄せ付けず7選。21年10月、自民党組織運動本部長に就任した。「そう遠くないタイミングで派閥『経世会』のボスとなり女性宰相を目指すことでしょう。その意味では、スキャンダルが早めに出て冷や飯も早めに食っておいて良かったのかもしれません」(政治部デスク)とのこと。少なくとも永田町においては、ドリルが未来を破壊することはなかったようだが、それが国民の常識に合致しているかは別の問題であろう。

デイリー新潮編集部

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