「義母と妹は生姜焼き、僕はキャベツだけ。酒浸りの父は、ある日突然…」壮絶な10代を送った44歳男性の大きすぎた後遺症

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 浮気の定義は人それぞれだから、線引きがむずかしい。心を寄せたら浮気なのか、ふたりで食事をしたらそうなのか。肉体関係を持っても「浮気ではない」と言い張る人もいるかもしれない。夫婦であってもその線引きは異なる可能性はある。

「人はみんな、たくさんの仮面を持っていて、その場に応じてつけ替えている。生きるってそういうことだと思いませんか」

 知人から紹介されて会った高野良智さん(44歳・仮名=以下同)は、穏やかな表情で、のっけからそう言った。確かにそうかもしれないが、心の奥底には「本当の自分」を隠したまま仮面だけつけ替えているのか、「素の自分」という仮面も持っているのかが気になり、尋ねてみると彼はうーんと腕を組んで考え込んだ。

「素の自分ってどれなのかわからない。あるいはどれも素の自分なのかもしれない」

 禅問答のような答えが返ってきた。

「人生、迷っているということなんでしょうね」

 良智さんは自分でそう結論づけた。

父の再婚ではじまった辛い生活

「あまり人に言ったことはないんですが、僕は虐待サバイバーなんです。9歳のときに母を病気で亡くして父とふたりで暮らすようになった。1年後に父は再婚したんですが、再婚相手にも子どもがいた。いきなり3歳違いの妹ができました。あの環境の変化に僕はついていけなかったし、継母も僕を疎ましく思ったんでしょう」

 父は家庭の形を整えて安心したのか、仕事に没頭したかったのか、帰りが遅くなった。彼にとっては「知らない大人の女性と年下の女の子」と3人の食卓を囲むようになったが、彼の分だけ、いつもおかずが少なかった。

「継母と妹は豚肉の生姜焼きを食べているのに僕は付け合わせのキャベツだけ。肝心の肉がない。キャベツと味噌汁と漬物でご飯を食べて、お代わりはできなかった。いつもお腹がすいていたので、給食では隣の席の女の子が残したパンをもらっていました。教師がおかしいと思ったんでしょう。家に連絡がいった。継母は適当にごまかしたようですが、その後、『よけいなことを言うんじゃない』と激怒、お尻にタバコの火を押しつけられた。屈辱でした。そういう陰湿ないじめが2年以上続き、当然、僕はだんだん痩せ細っていった。父方の叔父が気づいて父に訴えてくれたんですが、父は継母を気に入っていたんでしょう。何も対策をとってくれなかった。継母にいびられるより、父が僕を信用してくれないのがつらかった」

 その後、継母は妹を私立中学に入れるために必死になっていく。塾の送り迎えをし、家には妹の家庭教師が来るようになった。良智さんは誰もいないとき、自分で食事を作ることができたので、空腹からは逃れられた。継母は良智さんに気をとられる時間がなくなったから、積極的にいじめることはなくなったが、代わりに無視され続けた。そのほうが気楽だったと彼は言う。

「でも今思えば、明らかな愛情不足ですよね。僕は亡くなった母の思い出だけで生きていこうと幼心に決めました。母の小さな仏壇は開けられることもなかったので、僕、自分の部屋に移したんです。でも父でさえそのことには気づかなかった。母が気の毒でたまらなかったです」

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