「通り魔予告」急増で「ソウルでは外出を躊躇する」異常事態 韓国人の苦痛の根源に“相対的剥奪感”

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朝鮮文化特有の「恨」

 そして韓国の心理学研究では、相対的剥奪感は「恨」を呼び起こす原因の一つであるとされている。「恨」とは恨みや悲哀、無念さなど鬱屈した感情が幾重にも織り重なった朝鮮文化と密接に結びついた思考形式のことだ。

 相対的剥奪感の作用について研究した心理学者のハン・ミン氏は、まず韓国人の気質について、主観を核にしてその周囲を性格、態度、情緒などの要素が取り囲んでいる構造であるとした。韓国人の主観性の強さは、他の研究でも言及されている事柄である。

 ハン氏はそのように主観的な感情経験を重要視し、反芻的思考によってその意味を理解し再解釈するのが韓国人の特徴的な心の動きであると主張。そして主観的に相対的剥奪感を知覚したとき、悔しさや無念(朝鮮の土着的感情である「オグラム」)を表出し、それがやがて恨として醸成されるとした。

 まさに韓国の相対的剥奪感は、現代版「恨」と言えるかもしれない。

「K」ブランドの裏にあるもの

 さらに、韓国人の相対的剥奪感を増幅しているのが「公正性」に対する意識の高さだ。機会と分配、条件は平等であるべきで、努力すれば誰もが報われるべきであるという考え方である。

 だが実際には、上流階級に属するほど公正性が与えられていると感じているが、下層になるほど公正性に対し諦めを抱いている。特に20~30代が2022年の大統領選で示した政治志向や議論の中心は、公正性の問題だった。

 90年代生まれの視点から韓国情勢をさまざまな角度から考察した2021年発売のベストセラー『Kを考える』の著者で、1994年生まれのイム・ミョンムク氏はKBSのインタビューでこのような趣旨のことを話している。

「科挙(※新羅時代に始まった官僚登用試験)の文化が根付いていた韓国人にとって、試験を受けて点数で公正に評価されることはあまりにも当然のことだった。しかし、朝鮮戦争終結後に社会が両極化し、公正な試験が1960年代から80年代に限った特殊なものであったことが明るみに出る中で、若者のあいだで能力主義に対する批判が出てきた」

 能力主義への批判とは、そもそものスタートラインが違うのに能力で評価するのは不当であるという言説だ。親の経済力によって幸福度が決まることを揶揄する「親ガチャ」の概念と似たものがある。

 ちなみに『Kを考える』では韓国が現在誇る表面上の栄光をもってしても、その裏の敗者たちの救いにはならないことを説いている。

 韓国政府が「K」という頭文字を用いて世界に向けてブランディングするあらゆる政策やコンテンツ――防疫、音楽、ドラマ、美容……。それらを消費するだけの外国人からすると、その実現のために韓国人が苦境に陥っていることは、別世界の出来事である。

「K」を使って、国威発揚と国際化をアピールしたい韓国政府にとっては、それらに憧れる外国人はありがたい存在である。その一方で、表面的な「K」に憧れているにすぎない外国人は、韓国社会が抱える苦境の解消に役立つとは期待できない。

 つまり、韓国国内の若者にはよほどの運に恵まれたか能力者でない限り、現状を打破する機会が訪れることはないのだ。

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