【ジャニーズ性加害問題】34年前、北公次氏の告発が新聞・テレビに完全無視された真相背景に田原俊彦問題と村西とおる監督

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事実のセンサクは野暮

「『光GENJIへ』は確かにテレビや新聞では報じられませんでしたが、雑誌ではその衝撃的な内容を取り上げました。自身が所属したフォーリーブスや郷ひろみ、たのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)、少年隊、光GENJIといったトップアイドルを育ててきたジャニーズ事務所の社長が、所属する若手タレントにデビューをほのめかしながら行為を強要する様子が、あまりに露骨に表現されていましたからね」(芸能記者)

 熱心に北のインタビューなどを掲載していたのは、祥伝社の女性週刊誌「微笑」(96年廃刊)くらいだった。なぜ告発本を出したのかについて、北はこう語っていた。

《覚悟みたいなものは、あるんですよね。ここで自分を一度、完全にふっ切ってしまおうみたいな……。/自分としては、落ちるところまで落ちた……と思いますしね。これ以上、失うものはもう何もない。残っているのは生命くらいのものって感じなんですよ。ええ、遺書ももう書いてありますしね》(「微笑」88年12月17日号)

 しかし、それから約10年後にジャニー喜多川氏の性加害問題に関するキャンペーン報道を行った「週刊文春」でさえ、当時の記事のタイトルは「元フォーリーブスの告発本に見る“薔薇族”的部分」(88年12月1日号)である。そして、記事の最後はこうまとめられている。

《“美少年の宝塚”だと思えば、事実をセンサクするのは野暮というものか》

昭和末期のタイミング

「当時はまだ、同性愛自体を取り上げるのは『薔薇族』のような専門誌のみで、一般誌はもちろん新聞やテレビでも扱うことがタブー視されていることがありました。テレビ局の忖度もあったかもしれませんが、88年といえば昭和の最末期であり、年末には天皇陛下のご病状が毎日トップニュースで伝えられていました。そんな状況で、この問題を取り上げにくかった事情もあると思います。それもあって、すぐに雑誌での取り上げ方も変わっていきました」(前出の芸能記者)

「週刊読売」88年12月4日号は「ジャニーズ事務所の内幕を暴露した北公次告白本の品格」のタイトルで、版元のデータハウスについて触れている。

《出版前から、この本のスキャンダラスな内容の一部が噂として流れ、業界やファンの関心を集めた。/「光GENJIへ」の版元はデータハウス。三年前の長門裕之の「洋子へ」、去年の「松坂慶子物語」など、暴露本で物議を醸したことのある、ちょっとあぶないノリが売り物の出版社である》

 記事はデータハウス社長の鵜野義嗣氏の言葉で締めくくられる。

《ところで、本書のタイトルだが、なぜ「光GENJIへ」なのか。/鵜野社長はこう言う。/「人目を引くでしょ。光GENJIのファンも間違えて買うかもしれないし」/言ってみれば、そのレベルの本なのである》

 ジャニー喜多川氏のスキャンダルであるにもかかわらず、冷めた目で報じている記事が多いのには、ほかにも理由があった。

「『報道特集』で映像版が流れた際、画面の左上に《制作・著作 村西とおる事務所》とあったのに気づきましたか? 実を言うと、あの村西とおるさんが、一連の仕掛人だったのです。ですからほとんどの雑誌は、当初からその点に触れる記事が多かった」(同前)

 では、なぜ村西氏は、このような本を出版するに至ったのか。

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