“自分は頭が良いという態度が露骨に出るタイプ”“霞ヶ関全体から嫌われて”感染症対策の司令塔になったスーパーエリート「栗生官房副長官」の評判

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内閣人事局長も

 新型コロナの感染症法上の位置づけが5類に移行したことなどを踏まえ、有識者で作る「新型インフルエンザ等対策推進会議」の下部組織「新型コロナウイルス感染症対策分科会」や「基本的対処方針分科会」が廃止され、推進会議議長の尾身茂氏は退任した。9月1日からは感染症危機に対応する司令塔にあたる「内閣感染症危機管理統括庁」が設置され、トップに内閣官房副長官の栗生俊一氏が兼任することになった。重責を一手に引き受けているバリバリのエリートの栗生氏だが、それゆえの恨みの声や悪評も聞こえてくるのである。

 栗生氏は1981年に東大法学部を卒業し、警察庁に入庁。在インドやアメリカ大使館勤務や徳島県警本部長、福田康夫首相の秘書官、警察庁刑事局組織犯罪対策部長、刑事局長、次長を歴任し、2018年に警察庁長官に。民間企業での顧問などを経て、岸田内閣の発足とともに内閣官房副長官に就任。内閣人事局長を兼任し、今回さらに内閣感染症危機管理監も兼ねることになった。

いつまで長官をやるんだ

「警察庁時代はいわゆる大物長官と知られ、自身以降の長官人事のみならず警察関連の要職人事はたいてい栗生氏が決めていると言われています。まあ誰かが決めなければいけないので仕方ない面もありますが、そういった点から嫌われがちで、長官時代にOBから“いつまで長官をやるんだ”みたいな声があがっていました。実際は、直近の大物長官と呼ばれた米田壮氏と同様に2年間務めました」

 と、担当記者。

「一方で、栗生氏に出世の道を阻まれたというか、早めの退職を余儀なくされたキャリアもいて、栗生氏の問題点を細かくあげて、恨み節を吐いているところを見たこともあります。社会が変容していく中で警察もまた変わっていく必要があるという考えの持ち主で、それもまた当然なのでしょうが、合理的な手法を追求するあまり、相手によってはドライだと捉えられる部分があったかもしれません」(同)

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