「心が張り裂けそうでしたが、表立って泣くこともできず…」 妻と共に「不倫相手の葬儀」に出た64歳夫の罪意識 

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前編【結婚直後に「妻が自分を選んだ理由」を知り困惑… 64歳夫が振り回された“彼女の家族問題】からのつづき

 工藤輝司さん(64歳・仮名=以下同)は、不倫の関係を25年間続けていた冬美さんを今年の初めに亡くし、強い喪失感に襲われている。もともと冬美さんは、妻の美枝子さんの知人だった。冬美さんにも家庭があり、いわばW不倫の関係。飽きたら終わり、バレたら終わりの割り切ったと付き合いで、当初は「長くつきあうとは思っていなかった」と振り返る。

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 ふたりがつきあうようになってから、いろいろなことがあった。だがいちばん長く会えなかったのは、美枝子さんが体調を崩して入院した2週間とその前後3日間ずつ、3週間だけだ。

「僕にはやはり罪悪感がありました。つきあって5年目くらいに美枝子が入院したときは、バチが当たったと思った。冬美のほうから『美枝子さんが退院するまでは会わない』と連絡があってホッとしたのが本音です。幸い、美枝子はどこかが悪いわけではなく、仕事のストレスと過労だった。僕も家事育児は比較的やっていたと思うけど、これからはもっとちゃんとやるからと美枝子に約束しました。そういう話もすべて冬美には伝えていた。僕は彼女の家庭の事情はよく知らなかったけど、冬美は僕の家のことは知っていました。冬美と美枝子のつきあいも続いていたんです。頻繁ではないけどたまに会って食事をしたり、LINEで情報交換をしているということでした。冬美はしれっとそういうことができるのかと少し驚いたのを覚えています」

 だが、冬美さんは必死で、美枝子さんに疑われないための演技をしていたのだ。美枝子さんと仲良くしていれば、彼女が輝司さんに対して疑念を抱いたときすぐにわかる。

「最大の防御をするためにわざとオープンにしているのに、あなたは何もわかってくれないと冬美に泣かれたことがありました。胸を衝かれました。僕は妻にバレるはずなどないと根拠のない自信だけで動いていた。でも冬美は、美枝子と仲良くして、もしバレたら友だちを失う覚悟で僕とつきあってる。それがわかって、なんだかたまらない気持ちになった。こんなに僕のことを思ってくれるのか、彼女の愛に応えられる男なのかと悩んだこともありました」

心がけた「完璧な隠蔽」

 そんなに深刻に考えずにつきあっていた輝司さんが、冬美さんの心を感じて徐々に変わっていった。「完璧な隠蔽」を心がけ、彼女との連絡のみに使う携帯電話を手に入れた。

「美枝子は大事な妻だし、子どもたちの母親ですからね、傷つけるつもりなど毛頭ない。ただ、僕は冬美との時間がもてればいい。僕と冬美だけにわかる情感を交換して、ふたりだけの時間を重ねたかった。冬美はよく、『夫は私に興味がないの。かわいげのない女だと思ってるみたい』と笑っていました。ただ、夫は息子のことはかわいがっていたみたい。もちろん冬美も息子最優先でした。息子さんが高校生のときだったかな、バイクに乗っていて事故を起こしたことがあって……。そのとき夫は出張中だった。夜中にメールが来たんですよ。不安なだけだから、返信しなくていいからと書いてあったけど、僕、病院まで行きました。妻には社員が事故にあったと言って。冬美は、美枝子に息子が事故ったことだけは言わなかったとあとから言ってましたね。そういう連携はちゃんとしていた。だからバレなかったんでしょうね」

 たとえば夜中に出かけるなど不穏な動きはしないのが不倫中の鉄則だが、ときにはこういうこともある。どうしても不安に苛まれている相手を抱きしめたいと思ったら、それはそのまま「バレる」に直結する。だがふたりは、そのあたりもうまく連携して乗り切ってきた。冬美さんと美枝子さんが友人だったからこそできたのだろうが、それはまた友人を裏切っていると日々、心を痛めることでもある。

「冬美とつきあって20年がたったとわかったときは、なんだか感慨深かったですね。僕たちは特に記念日にとらわれるような関係ではなかったけど、はたと20年かと気づいて。実はその時初めて、彼女にアクセサリーをプレゼントしたんです。彼女はいらないと言ったけど、僕がどうしても贈りたかった。彼女は『指輪だと目立つから、ネックレスがいい』と。7月生まれで誕生石がルビーだったんです。人目を忍んで閉店間際のデパートに行って、華奢なデザインのネックレスを買いました。あとから冬美は、『店員さん、夫婦じゃないってわかってるわよね』と言ってました。でも僕は、実際に行ってみて、今どき、熟年の恋人同士だっているし、そんなに卑屈になることはないなと思った。だから、誰にどう見られようともういいよ、20年もつきあってきたんじゃないかと言った。その言葉に冬美の目が潤んだのを覚えています」

 それ以降、毎年、7月にはルビーのアクセサリーを贈るようになった。もっと早くからそうしていればよかったのにと今でも思うことがあると彼は言う。

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