かに道楽の知られざるCMソング秘話 「とれとれピチピチ」の意外なルーツとは

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♪と~れとっれ、ピ~チピッチ、かに料理ぃ~。関西人ならまず間違いなく誰もが唄えるあのメロディー。そう、巨大な“動くかに”の看板でおなじみ「かに道楽」のCMソングだ。食い倒れの町・大阪道頓堀に1号店(本店)があり、あの動くかにはランドマークにもなっている。行楽の人出を観測する場所は、東京なら浅草寺、大阪なら道頓堀。ニュースなどが決まって映すお約束の「かに看板入れ込み」の絵柄は、きっと関西人でなくとも目にしたことがあるだろう。

 本店が構える道頓堀の街のコテコテ感。「かに道楽」のルーツも“ぜったい大阪やろ”と思っていたら、意外や意外……。さらにはCMソングも想像以上に気合いが入っていた。 【中西美穂/ノンフィクションライター】

 株式会社かに道楽大阪本部事務所の西岡広志氏が、まずは歴史を教えてくれる。

「兵庫県北部の豊岡市内。有名な城崎温泉のほど近くに日和山という、日本海に面したエリアがあります。ここを、水族館の城崎マリンワールドを含めた一大観光地として成長させたのが『日和山観光』の創業者・今津文治郎で、彼は8人兄弟でした。末弟が『かに道楽』の創業者である芳雄です。1915年に豊岡市で生まれ、漁師の家で育った芳雄は、家業だった鮮魚の行商を小さいころに始めました」

 な、なんとルーツは兵庫県の最北、日本海岸にあったのだ。芳雄は、観光事業を興した長兄を“人生の師”“商売の師”と仰ぎ、その片腕として観光開発に従事。独創性あふれる企画力と行動力で業容を拡大させた。

「1958年、日和山観光が経営するホテル金波楼の案内所を道頓堀に設けました。それが大阪進出のきっかけで、案内所に併設したのが山陰産の魚介を提供する千石船食堂です。千石船食堂こそ『かに道楽』のルーツなんです。ちなみに『かに道楽』は現在、日和山観光のグループ会社になっております」

大阪では「かに」の認知度が低かった

 ただ、千石船食堂を大阪に出店させたはいいが、始めのおよそ2年間はうまく軌道に乗らなかった。そんな中で「どうにか大阪の人にもかにを食べてもらえないか」との思いから、大阪で人気のうどんすきに便乗し「かにすき」で勝負しようと考えた。

「創業時は、大阪でかにを食べる文化や習慣がないどころか、かに自体が認知されていませんでした。当時は、水揚げされた鮮魚を汽車にのせて運んでおり、人々の口に入るまでに相当の時間がかかっていました。冷凍技術もない時代です。大阪に着いた時には、かには上がっている(死んでいる)。食べられるのか食べられないのか、品質も今ひとつという状況でした。しかし、どうにか大阪で、かにで勝負したかった。その強い思いがスタートになっています」

 当時、産地から大阪までじつに最低6時間かかった。

「かにを上げない(死なない)ようにするために、氷詰めして運びました。のちに漁協とともに冷凍保存方法を確立し、日本海の美味しいかにを大阪まで運ぶことができるようになりました。おかげさまで大阪の店には大行列ができました」

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