総計75万部超…吉村昭「戦艦武蔵」はなぜこれほど長い間読まれ続けているのか?

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「記録文学」の根底にあった「純文学」

『戦艦武蔵』の単行本初刊のカバー袖に、吉村の師でもあった丹羽文雄(1904〜2005)が推薦文を寄せている。

《この作品は、造船史上初めての難事業とされた造船の過程や苦労を伝えたいためではない。作者がこれまでいくつか手がけて来た詩への関心につながる巨艦の壊滅に心を捉えられたためであろう》

「さすがは丹羽文雄だけあって、この作品の本質をズバリと述べています。『戦艦武蔵』には、ときどき強烈な詩情を感じる文章があるんです」

 と語るのは、あるベテラン編集者である。

「たとえば冒頭に、ワシントン軍縮会議によって建造中の戦艦を次々と廃艦にせざるをえなくなる場面があります。なかでも戦艦土佐の廃艦の光景は――《五万名にも達する所員や長崎市民に見送られて造船所の艤装岸壁をはなれた》、そしてあちこちで魚雷や砲弾テストの標的となった挙げ句、《穴だらけになり引きちぎられて破壊されて、その艦名とゆかりのある四国の土佐沖で、屑鉄同様に打捨てられてしまった》と書かれている。まるで先立つ家族の一員を愛おしむような筆致です」

 この筆致は、クライマックスにも登場する。壮絶な沈没場面のあと、生存者たちが海上を漂う箇所だ。

《一面の星空であった。そして、水平線近くから上弦の月がのぼりはじめ、海上はほの明るくなった。いつの間にか三百人ほどの人間の環が出来上り、その周囲に大小無数の人間の集団が、ゆったりとうねる海上に浮んでいた。/不意に大きな環から「君が代」が起った。それは他の環にも伝って、月光に明るんだ海上を流れた》

「凄惨な場面のはずが、不思議な美しささえ感じられます。この作品は、戦争がいかに巨大なエネルギーを浪費するか、その虚しさや恐ろしさを、きわめて冷静に描いています。しかし、それだけだったら、これほど長くは読まれなかったでしょう。吉村さんは常に、体制に翻弄される一般市民に寄り添う姿勢を忘れていない。一見、即物的な記録に見えて、丹羽文雄が指摘しているように、その思いが〈詩〉となって行間からあふれているのです」

「記録文学」と呼ばれるジャンルを確立した吉村昭だが、その根底には〈詩〉が、つまり「純文学」の精神があった。82刷もの増刷を重ねる理由は、そこにあるのかもしれない。『戦艦武蔵』は、これからも世代を超えて読み継がれていくだろう。
(一部敬称略)

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍

デイリー新潮編集部

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