一瞬でガレキになった歴史都市…トルコ大地震から半年、被災地を「食べ歩く」

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去年泊まった宿もレストランも廃墟に 

 翌朝、迎えに来てくれたアフメット氏の車で旧市街へ向かう。この日は休みだというアフメット氏に案内役を頼んだのだ。昨秋行った場所をひとつひとつ見てみようと考えていた。前回泊まった宿は、旧市街にある古民家を利用した開業したばかりの宿だった。キリスト教徒だというレセプションの女性から、「多くの民族・宗派が共存するアンタキヤの多様性」について話を聞かせてもらった記憶がよみがえる。中庭には木が植えられていて、宿泊客が木陰でテーブルを囲んで談笑していた。そんなことも思い出す。

 そのホテルが、壁が大きく崩れ、無残な姿をさらしていた。ひと気はなく、今後、復旧にどのぐらいかかるのか、想像もつかないほどの惨状だった。

 旧市街のランドマーク、ハビビ・ネッジャールモスクの近くに車を停める。イスラム初期の7世紀にまでさかのぼるという歴史あるモスク。ドームとミナレット(尖塔)が崩れ落ちて、見る影もない。昨秋、夕食を食べたレストラン「ジャミーラ」(アラビア語で美しい)も完全な廃墟になっていた。アンタキヤがあるハタイ県は、トルコに編入される前はシリアに属しており、今もアラブ系住民が多い。あの時食べた、個性的な「ハタイ料理」の数々を思い出す。

 この辺りは、石畳のでこぼこ路地が迷路のように張り巡らされたアンタキヤ旧市街の心臓部。こうした景観もすべて、ガレキと土に埋まっていた。歴史遺産の変わり果てた姿に言葉を失った。中心部の商店街も悲惨な状況。マクドナルドとドネルケバブ屋が並んでいたトルコらしい風景のあたりは、場所を特定するのも困難なほどに破壊されていた。

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