「あんたって本当につまらない男ね」妻との結婚を報告した際、母親は言い放った。44歳夫が語る“嫌気がさした親子関係”
パートナーの愛情を試すのは決していいことではない。ただ、人はときとして人の愛を試したくなるものでもある。大人同士だからといって、いつもきちんと自立していられるとは限らない。たまには甘やかされたいのが本音なのかもしれない。
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「妻は強いんですよ。自立している。僕はなかなか妻みたいに潔く生きられない。妻からはいつも『私はあなたのママでもなければ、保護者でもないんだからね』と言われています。わかってはいるんですが……」
それでも妻に依存してしまうというのは、岡本瑛彦さん(44歳・仮名=以下同)だ。彼にとって、「男を見せる」のは恋人、徹底的に甘えたいのは妻なのだという。妻には偉そうにしながら、恋人には甘えまくる男性もいるが、瑛彦さんは恋人には「大人の男」として接している。
幼なじみだった千夏さん
小学校時代からの幼なじみである千夏さんと結婚したのは26歳のとき。西日本の県庁所在地で生まれ育った彼は、地元の高校を卒業後、東京の大学へ進学した。
「家も徒歩1分みたいな感じの近所で、小さいころからずっと一緒に遊んでいた。中高時代は、それぞれ忙しかったけど、千夏には勉強も教えてもらっていました。僕が大学に入れたのは千夏の叱咤激励があったからこそです」
大学に入ってからも千夏さんとは連絡をとり続けた。休みになると地元に帰り、千夏さんと愛を育んできた。希望の会社に就職できたら、すぐに呼ぶから結婚しようと伝えた。千夏さんは地元の短大から保育士の道へ。彼は2年遅れて、第一志望の大手企業に「ひっかかった」という。
「なんというのか、千夏は隣にいて当たり前の存在だったんです。だから大学時代は千夏と離れていることが不思議だった。自分が就職できたので、すぐ上京しておいでよと言ったら、『私だって仕事への責任がある。今は無理』と言われてびっくりしました」
彼にとって千夏さんは、「何でも自分の願いを叶えてくれる人」だったのだ。そこで初めて、千夏さんには千夏さんの意志があると知った。千夏さんが、「私は私なりにがんばった」と思えるまで待とうと決めた。
瑛彦さんは姉がふたりいる末っ子の長男、千夏さんは弟がふたりいる長女。甘えたい男と、ついついめんどうをみてしまう女。ふたりはそんな組み合わせだったのだろう。
自らも認める「ダメ男」
結婚から2年後に長男を、さらに2年後に次男を授かった。千夏さんは、末弟と10歳も離れていたため、子どものころ共働きの親に代わってかなり世話をしていたという。そのせいもあってか、仕事柄もあってか、「とにかく子育てが上手だった」と瑛彦さんは言う。
「鷹揚なんですよね。子どもが泣いてもあわてない。僕はいつも千夏に言われたことをするだけ。上が4歳くらいのとき、『そろそろパパの出番だからね。男の子なんだからパパ、がんばってよ』と言われた。それが今も記憶に残っています。いい言葉として残っているわけじゃない、プレッシャーだった」
瑛彦さんは苦笑する。彼は自らも認める「ダメ男だから」と白状した。
彼が「ダメ男」になったのは、母親が厳しすぎたからだという。「表面上は教育ママっぽかったけど、その裏は自分の過去の後悔を僕になすりつけるような育て方をしたんじゃないかと思う」と今は分析している。
小学校に入学する前から勉強を押しつけられた。母は東大のエリートに振られたせいで、傷心のあまり父と「うっかり」結婚してしまったとよく彼に愚痴をこぼした。
「小学生のとき、夏は東京の親戚に預けられて塾に通いました。母は東京の私立中学に入れたかったみたいです。『お金はおとうさんには頼れないから、私が何とかする』と言っていました。いつでも下に見られている父が、本心では母をどう思っていたんだろうと考えたこともあるけどわからなかった。父も自分も母にお尻をひっぱたかれて走っている馬みたいなもんだと思っていましたね」
母の意に反して、彼は東京の私立中学受験に失敗。だが本当はわかっている答えも書かなかった。千夏さんと離れて暮らすのが嫌だったからだ。
「千夏のそばにいることはできたけど、それは母親とも離れられないということだった。中学時代も高校時代も塾に行かされたが、あまり成績は上がらなかった。母が頭を抱えていたから、当時、成績優秀で有名だった千夏に教えてもらうことにしたんです。千夏とは高校が別で会う時間も減っていたから会いたかったし。母は同級生に教えてもらって成績が上がるわけがないと言っていたけど、実際、千夏と一緒に勉強するようになったら上がった」
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