佐藤蛾次郎は外見に似合わず、細やかな神経の人…団子屋に寅さんが帰ってくるシーンで気付いた渥美清の異変とは

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人生時計のカウントダウン

 蛾次郎も愛妻に先立たれ、何度も癌の手術をし、銀座の店もたたみ、言葉は悪いが引きこもりのような状態で日々過ごしていた。まさに人生時計のカウントダウンの始まりである。

 これは私の勝手な妄想に過ぎないが、蛾次郎は奥さんの死を契機に、自身の人生のカウントダウンを真剣に意識し始めたのではないか。

 結果的に自宅の浴槽で亡くなり、事故死とみられる形になったが、誤解を恐れずにいえば、自宅で亡くなったこと自体、「うらやましい死に方」だったかもしれない。

 そもそも、なぜ人の多くは病院で死ぬのだろう。病気を治すために入院しても、最期は体中にあれこれ管を取り付けられて、管理された部屋の中で息を引き取る。自宅にいたら家族にあれこれ迷惑をかけるので病院、という選択肢をとらざるをえない場合もあるのだろうが、現代社会では自分の家で亡くなるということはとても難しいことになっている。

 歌人の西行(1118~1190)は、最高の死に場所を得て実際に死んだ人といえる。こんな歌がある。

「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」

 花とは桜を意味しているのだろう。現代語に直すと「願うことには、桜の花が咲いているもとで春に死にたいものだ。それも(釈迦が入滅したとされている)陰暦の二月十五日の満月の頃に」という感じだろうか。

 おっと、話が長くなった。元に戻す。

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