浮気相手にも妻にも殴られ、硬膜外血種で緊急手術…それでも40歳夫は「妻を裏切った感覚がない」という根本的原因

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前編【父にも母にも愛人が…オープンマリッジな家庭に育った男性の告白「親子関係がそもそも普通じゃなかった」】からのつづき

 刈谷俊太朗さん(40歳・仮名=以下同)の両親は、いわゆる「オープンマリッジ」の関係だった。母の戸籍に入る彼を父が認知するかたちで暮らし、おのおのの「恋人」にも紹介された。友達の家と比べ「変わった人たち」だった両親は、俊太朗さんが20歳をすぎた頃に相次いで逝去。父母の生きざまは、俊太朗さんの対人能力に影を落としたようだ。

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 両親ともに会社員ではなかったが、彼は会社員という道を選んだ。自分は組織に属したほうが向いていると判断したのだ。社会人になってからも恋愛をしようとしたが、臆する気持ちのほうが強かった。両親の関係は「普通じゃない」から、自分は「普通になろう」としたのだが、つきあっていても「何かが違う」と感じてしまって続かないのだ。相手の女性が、彼に翻弄されたと感じて憤り、会社に乗り込んできたこともある。

「僕は翻弄したつもりはなかった。でも彼女がもっと会いたいと言ってもその気になれず、遊園地に行こうと誘われても乗り気になれずで、会わないほうがいいと自然と距離を置いたんです。でもそれが翻弄したことになってしまった」

 女性との距離の取り方には本当に苦労したと彼は言う。そういったことを相談していた職場の先輩が、「早いところ結婚しちゃえ」と紹介してくれたのが絵衣子さんだった。彼より3歳年上で、先輩の従姉妹だった。

「気が強いところはあるが、おまえには合うよと言われて。会ってみたら、チャキチャキの江戸っ子で決断が早くてさっぱりしてる。つきあい始めてから『週末、どうする?』と聞かれて、僕がちょっとでも気乗りしない顔をすると『あ、じゃあ連絡して』で終わり。金曜の夜に電話をすると『予定伝えてこないから、私は友だちと遊びに行く約束しちゃった。また来週ね』って、あっさり。あんまりあっさりされると不安になるんですよね。彼女の気持ちを知りたかったし、彼女が喜ぶようなことをしたいと思った。そうしているうちに好きになっていって、彼女がいない生活が考えられなくなった。ああ、これが恋なのかと初めて腑に落ちるものがありました。絵衣子とずっと一緒にいたい。そう思って結婚しようと言ったのが彼女が30歳になる直前でした」

子どもが産まれ充実した日々も…唯一の不満

 彼自身が婚姻届をとってきた。両親はこれに署名することもなかったんだなと思いながら、自分が「普通の行動」をとっていることに少し安堵もしたという。彼が29歳のとき、娘が産まれた。

「妻に言われて僕が3ヶ月の産休を取得しました。先輩も援護してくれたし、社内も男が産休をとることに前向きだったので。育児は大変だけど、僕はなんとなく楽しかったですね。産休明けに会社に戻りたくなかったくらい。妻はいろいろ考えたんでしょう、娘が1歳になったころ、起業しました。自宅から20分圏内の繁華街に事務所を借りてコンサル系の会社を開業したんです。内容はよくわかりませんでしたが、SNSなどを駆使しながら少しずつ業績を上げていったようです」

 彼は万が一を考えて地道な会社員生活を続けていた。妻に「あなたも自由にすればいい」と言われたが、彼は会社員が合っていると感じていたそうだ。

「ふたりで家事育児をしながら生活していたあの頃は、とても充実していました。ただ、唯一の不満は、出産後の妻が夜の生活を拒否するようになったこと。子どもが小さいからしかたがないのかなと思っていたけど、3年たってもその気になってくれない。どうしてなのと尋ねたら『わからない。でもしたくない』ってはっきり言われました。僕のことが嫌になったのかと思ったけど、怖くて聞けなかった」

 生理的に我慢できないわけではなかった。ひとりで処理すればいいだけの話だ。だが、そうではなくて彼は寂しかった。妻と会話はある。ときに触れたいと思うこともある。隣に並んでソファに座っているのに抱き寄せようとすると体をねじって拒否された。

「オレのことが嫌いになったのかと聞いても、『そうじゃないと思うけど、誰にも触れられたくないのよ』という。それなのにマッサージとかエステとかには行って『癒やされたー』と言っているわけですよ。深夜の寝室で、どうして僕の寂しさをわかってくれないんだと怒ったら、隣の部屋の娘がいきなり泣き出したりして、妻の心情は聞けないままだった」

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